広島・今村猛で思い出す「投げすぎた」リリーフ投手たち。活躍期間は短くともその輝きは色あせない (2ページ目)

  • Text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 2007年は藤川がクローザーに回ったことで、セットアッパーを担った久保田はNPBのシーズン最多登板記録を更新する90試合、108イニングを投げきった。防御率も1.75と抜群の安定感で、当時の日本新記録となる46ホールド、勝利数は他の先発陣を差し置いてチーム2位の9勝をマークし、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得している。

2000年代に阪神のリリーフとして活躍した(左から)久保田、藤川、ジェフ2000年代に阪神のリリーフとして活躍した(左から)久保田、藤川、ジェフこの記事に関連する写真を見る 翌年も69試合に投げて31ホールドを記録し、2年連続の最優秀中継ぎ投手に選ばれたものの、防御率は3.16と前年に比べて下落した。2009年には先発再転向を目指した春のキャンプ中に肩を故障。1軍での登板は7月に先発した1試合のみとなった。2010年はセットアッパーに戻って28ホールドを挙げたが、その後はケガが続いて球速が130キロ台に落ちることも。そして右肘を手術した2014年に現役引退を発表した。

 久保田は引退会見で「未練や悔いが残っているが、ケガとつき合いながらやれるような世界ではない」とコメントし、首脳陣、支えてくれたファンに感謝を伝えた。引退後は球団の打撃投手やスカウトを経て、今シーズンから2軍の投手コーチを務めている。投手として酸いも甘いも嚙み分けた久保田が、どんな投手を育てるのかに注目したい。

 その久保田のホールド記録を塗り替えた元中日の浅尾拓也も、短く強烈な光を放ったリリーフ投手だった。

 高校時代、チームに投手が不足していたことで捕手から投手に転向すると、日本福祉大学へ進学後に才能が開花。130キロ台後半だった球速を150キロ台まで上げ、エースとして活躍すると2006年に中日からドラフト3位指名を受けた。

 入団3年目までは先発とリリーフを兼務していたが、2010年にセットアッパーに固定されると、球団記録となる72試合に登板。久保田を上回る日本記録の47ホールドを記録した。同年の日本シリーズでは4イニングを投げることもあるなど、まさに"大車輪"の働きをみせた。

 さらに2011年は、前年を上回る79試合に登板した。自責点わずか4、防御率0.41という驚異的な成績で45ホールドを記録。リリーフ投手として初のゴールデングラブ賞を獲得し、リーグ優勝の胴上げ投手になるなど、2年連続で最優秀中継ぎ投手に輝いた。

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