59年前、ミスター長嶋に憧れ、プロ野球に電撃入団した韓国人がいた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第15回 白仁天・前編 (第1回から読む>>)

 令和となったいま、知る人も次第に少なくなっていく「昭和プロ野球人」の過去のインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ。バルボンさん(第6回)以来の外国人選手として、白仁天(はく じんてん、ペク・インチョン)さんを取り上げたい。

 "暴れん坊軍団"の東映(現・日本ハム)をはじめパ・リーグ各球団で活躍した強打者は、のちに韓国プロ野球界でも大きな功績を残した。野球選手の入団ルールどころか、まだ日韓間の国交正常化すら果たされていなかった時代にあって、パイオニアはどのように道を切り拓いていったのか──。

1967年、白仁天(背番号7)は逆転サヨナラ3ランのはずが、喜びのあまり走者を追い越してアウト、同点止まりでガックリ(写真=共同通信)1967年、白仁天(背番号7)は逆転サヨナラ3ランのはずが、喜びのあまり走者を追い越してアウト、同点止まりでガックリ(写真=共同通信)

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 白仁天さんに会いに行ったのは2009年4月。日本と韓国が激しい戦いを繰り広げた第2回WBC閉幕後、日韓双方のプロ野球で活躍した白さんに取材する機会を得た。韓国出身で1962年に来日して東映に入団し、日拓、日本ハム、太平洋クラブ(現・西武)、ロッテ、近鉄で実働計19年間、母国ではMBC(現・LG)、三美で計3年間、捕手・外野手としてプレーした野球人だ。

 取材の準備として、一冊の本を読んでいた。2006年に刊行された『韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス』(大島裕史著/新幹社)。韓国の野球史を綴(つづ)った長編ノンフィクションで、冒頭、06年WBCにおける韓国のベスト4進出は、〈韓国に野球が伝わって一〇一年目になし得た快挙であった〉とある。

 すなわち、朝鮮半島に野球が伝来したのはその101年前の1905年。5年後には日韓併合が行なわれ、日本の植民地支配を受けたなか、野球でも日本が影響力を強めていく。のちに終戦を迎え、解放後の南北分断から朝鮮戦争、65年の日韓国交正常化を経て現在に至るまで、韓国野球がどのように発展してきたか、詳細かつ克明に描かれている。

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