宮本和知は突然のロス五輪出場に戸惑い「うれしい気持ちはほぼなかった」 (4ページ目)
「予選リーグが始まる前、ドジャースタジアムのパーティールームで前夜祭があったんです。出場する全チームが集まっていたんですけど、そこで各チームのエースと4番バッターが紹介されまして、なんと、そこに僕と広澤(克己/当時明大、のちにヤクルトなど)さんが呼ばれたんです。僕はあのチームのエースは伊東昭光(本田技研、のちにヤクルト)だと思っていましたから、『なぜオレなの?』って......昭光も『なんでお前なんだよ』って(笑)。あれ、なぜだったんですかね」
おそらくは初戦で先発するピッチャーと4番を打つバッターが呼ばれたのだろう。日本は予選リーグの初戦、韓国との試合で宮本を先発させるつもりだった。しかし、そのことは宮本には伝えられていなかっただけでなく、試合当日の朝、韓国戦の先発は投手陣の中での最年長、吉田幸夫(プリンスホテル)に変更されたのだ。宮本は「そうなの? オレ、初戦の先発だったの?」とおどけながら、こう言った。
「ヒジがね、よくなかったんです。選手村で痛み止めの注射を打ったのを覚えています。でも、そんなこと言ってられませんから、試合が始まったらすぐにブルペンで準備していたと思います。どういう場面で出るのかというのもさっぱりわからなかったし、もうぶっつけ本番みたいな感じで出ていったんじゃなかったかな」
吉田が韓国打線を被安打1の失点ゼロに抑え、1-0と日本が1点をリードして迎えた7回裏。吉田がワンアウト1、3塁のピンチを背負うと、松永怜一監督は宮本をマウンドへ送った。宮本はこのピンチを凌ぐと、9回には伊東昭光へとつないで、2年前の世界選手権で敗れた韓国を相手に、日本は2-0と堂々の白星を勝ち取った。
続くニカラグア戦にも勝って予選リーグを突破した日本は、準決勝でも吉田、宮本、伊東のリレーでチャイニーズ・タイペイを下して、決勝へと勝ち上がった。決勝の相手はアメリカ──大会前はまったく期待されてなかった野球の全日本は、勝てば金メダル、負けても銀メダルというオリンピックの大舞台へ立つことになったのである。
(つづく)
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