31歳で現役引退。ドラ1・大石達也はなぜプロで羽ばたけなかったのか (2ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • TOBI●撮影 photo by TOBI

 現役生活に終止符を打った2019年10月はゆっくり過ごし、11月から本拠地の所沢で秋季キャンプを手伝った。現役時代の盟友・武隈祥太とライオンズトレーニングセンターでキャッチボールを行なうと、ボールが届かないほど右肩に痛みを覚えた。

「痛すぎて全然投げられませんでした。別にケガしてもいいやと思って投げていたら、3週間目くらいから普通に投げられるようになりましたけどね」

 プロ野球選手は誰しも、身体のどこかに痛みを抱えているものだ。大石も例外ではなかった。

「そういうもんなんじゃないですかね(苦笑)。一軍で出ている人は、そのなかでも高いレベルでパフォーマンスを発揮できているけど、僕はそれができなかったということだと思います」

 現役時代に取材している頃、大石は自身を客観的に語ることがよくあった。

 大学時代に最速155キロを記録したものの、プロで10キロ以上遅くなったことをある意味で割り切り、今できるパフォーマンスで結果を求めていく。全盛期のような力を発揮できない自分を受け入れざるを得ないのは、峠を過ぎたアスリートが現役を続行するかぎり、当たり前のことなのかもしれない。

 だからだろうか、少し前まで「金の卵」と騒がれた男は、達観しているように感じられた。

 今から9年前、「豊作」と言われた2010年のドラフトには、早稲田大の斎藤佑樹(日本ハム)や福井優也(広島)、中央大の澤村拓一(巨人)、佛教大の大野雄大(中日)らが候補に名を連ねるなか、最多の6球団に1位指名されたのが大石だった。

 早稲田大学入学時にショートだった頃から3年半で、「世代ナンバーワン投手」の評価を受けるまでに成長できたのはなぜか。そして、プロで大きく羽ばたけなかった理由はどこにあるのだろうか。

 その謎を解き明かせるのは、大石本人にほかならない。

「早稲田で斎藤に出会っていなければ、僕がそのままプロに行けたかはわからないです」

 アマチュア時代の大石を成長させたのは、何より出会いと環境だった。

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