元DeNAの白根尚貴がコーチへ転身。亡き母との思い出の地で再出発 (4ページ目)
コーチ就任が正式に決まった際に、母の墓前だけではなく、"ふたりの恩師"に一報を入れたという。
「小、中学生時代に指導していただいた乃木ライオンズの樋口近(ちかし)監督、開星でお世話になった野々村直通先生に、決定後すぐに電話をしました。小学1年から中学卒業までの9年間教わった樋口監督は、僕の野球における"土台"をつくってくださった方です。その土台を基に、厳しい世界で勝負できる技術と心を鍛えてくださったのが野々村先生。心の底から"恩師"と呼べる方がふたりもいるのは幸せなことですし、今度は僕が選手たちから恩師と呼んでもらえる存在にならないといけないとも思っています」
恩師のひとりである野々村直通氏は、指導者に転身した教え子をこう評し、エールを送る。
「見かけによらずと言ったら失礼だけれども、白根は繊細さを持っているし、洞察力もある。高校時代は自分を追い込み切れない面があったが、やったほうがいいこと、自分に足りないものは理解しとったからね。指導者の適性は十分あると思うし、頑張ってほしいですね」
取材が終わりに差し掛かってきたころ、白根は「松山とは何かと縁があるんですよね」と口にした。
「ホークス時代、アイランドリーグとの交流戦で来ていますし、プロ初スタメン(2016年4月16日・東京ヤクルト戦)も坊っちゃんスタジアム。契約で訪れて、久々に街並みを見た時も『懐かしいなあ』と思ったぐらいで」
そして、こう続けた。
「プロ初出場の試合だけでなく、ホークス三軍時代の松山でのゲームにも母は応援に駆けつけてくれました。応援してくれた母にとっても、思い出深い場所だったと思います。一度は失いかけた野球を再び生業にできるのはすごくうれしいことですし、コーチのお話をいただいた時に、『やっと母に顔向けできる』と思えたんです」
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