元巨人・山口鉄也が語るプロ人生「工藤公康さんとの出会いで変わった」 (5ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

―― "引退"を意識するようになったのはいつ頃からですか。

「そろそろヤバイかなと思い始めたのは、ここ2、3年ですね。自分の思うような球が投げられなくなってきて、結果もよくなかったですから。ただ、そこまで深くは考えていませんでした。それが決定的になったのは、今年の9月です。ファームで仙台に行った時、試合ではしっかり投げられて抑えたのですが、次の日に肩が上がらなくて、キャッチボールもできない。それも含め今年4回ケガをしたのですが、さすがに体も限界かなと......。体がついてこないと気持ちもついていかないので。それで引退を決意しました」

―― プロ野球選手としてやり残したことはありますか。

「日本代表にも選ばれましたし、日本一も達成し、銀座のパレードまで経験させてもらった。正直、選手としては十分にやり切ったと思っています。あえて言うなら、最後にもう一度だけ優勝したかったなというのはあります。でも、これ以上望むのは贅沢すぎるぐらいいろんな経験をさせてもらったので、心置きなくユニフォームを脱げます」

―― プロ野球生活を振り返って、思い出に残っているシーズンはたくさんあると思いますが、最も印象に残っているものは。

2012年の日本ハムとの日本シリーズで胴上げ投手になれたことですね。これまでのことが走馬灯のように蘇ってきて......高校時代、アメリカでプレーしたこと、育成選手として投げていたことなど、ホントいろんなことが頭のなかをよぎりました。いま振り返っても、プロで成功するなんて思ってもみなかったですから。こんな場面で投げられることが信じられなくて。野球を続けてきてよかったなと思いましたね」

―― 最後に、山口さんにとって13年間のプロ野球生活を漢字一文字で表すと?

13年間......漢字一文字......うーん、難しいですね。あえて言うなら"濃"ですかね。プロになれるかどうかもわからなかった選手が巨人に拾ってもらって、そこでいろんな人に出会えて、原(辰徳)監督も辛抱強く使ってくれた。すべてが奇跡的なことばかりで、巨人に入っていなかったら建築関係の仕事をしている友だちのところにお世話になっていたと思います。現役をやっている時はつらいことの方が多かったのですが、いざ辞めて振り返ると楽しいことしか思い浮かびません。本当に中身の濃い、最高のプロ野球人生でした」

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