「とにかく焦るな」。リハビリに苦闘した斉藤和巳が松坂大輔に贈る言葉 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 時事通信フォト●写真 photo by Jiji Press Photo

 03年、ボクは1軍でようやく先発ローテーションに入って20勝しました。沢村賞や最多勝などタイトルを獲り、チームは日本一に。それでも大輔とボクでは天と地の差だと思ってました。アイツのほうが3つ年下ですが、それより前から活躍していましたからね。

 胸を借りるという次元でもない。自分のことだけで必死だった。03年だって大輔と投げ合って勝った(3戦して斉藤が3勝)と言われるけど、そんな印象まったくない。周りがうまく盛り上げてくれただけで、(勝ったと言われても)違和感しかなかった。
 
 その後、自分も実績を重ねてボク自身の意識も立場も変わってきた。06年は強烈に覚えていますね。大輔がその年限りで、翌年からメジャーに行くというのも何となく分かっていたから余計に意識をしました。ただ、僕の持っていたライバル意識は、周りの方々が思っているようなものとはちょっと違うんです。

 あの年、ボクが大輔に勝ちたかったもの。それはゴールデングラブ賞でした。ボクはそれまで先発投手が獲得できるタイトルはほとんど獲っていたけど、唯一手にしていないのがゴールデングラブ賞だったんです。

 子どものころから憧れていた賞でした。トロフィーを自分のグローブ型に作ってくれる、ゴールデングラブ賞の盾が欲しいと子供心に思っていたんです。だけど、ずっと大輔が獲っていた(99年~01年、03年~06年。計7度)。ボクは守備に自信があったし、大輔が日本にいる間に自分が獲ってこそ価値がある。

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