谷繁元信が今だから語る「プレーイングマネージャーの苦しさ」 (2ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva  寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi
  • 小池義弘、五十嵐和博●写真 photo by Koike Yoshihiro、Igarashi Kazuhiro

野村 しかし"監督谷繁"として"選手谷繁"の評価をしなければならないわけだよね。それってものすごく難しかったんじゃないの? 

谷繁 いや。結局、選手としての僕のことは、僕が一番わかるわけですよ。今のコンディションであり、この先どれぐらいできるか、ということも。それらを理解した上で考えると「僕が無理して出るよりも若いキャッチャーに経験を積ませる」ということがドラゴンズにとって最良の選択になりますよね。兼任監督という形も、試合に出続けて貢献することよりも、監督としての力を発揮しながら、自分をチームの足りないところに当てはめていくということですね。

野村 ピッチャーのほうも誤算が多かったと思うけど、3年目の若松(駿太)が10勝した。正直あそこまでやるとは思わなかったよ。あのチェンジアップを含めて、いいボールを投げるよね。

谷繁 僕が監督になった2013年の秋、フェニックスリーグに視察に行った時に1年目の若松がブルペンで投げているのが目について、「こいつは試合が作れるな」って思っていたんです。ナゴヤに帰ってきた後に紅白戦をやった時も、やっぱりいいピッチングする。これはいけると思ったんですけどね。

野村 その割に出てくるまでに時間がかかったよね。

谷繁 その年のオフの過ごし方がよくなくて、1年間を棒に振ったんですよね。それで翌年の秋季キャンプで1カ月間重点的にみっちり鍛えたんですけど、春のキャンプも入り方を間違えてまた出遅れてしまった。周りから見れば昨シーズン急に出てきたように思うかもしれないですけど、僕から言えば遅いぐらいですよ。

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