谷繁元信「屈辱の時代のおかげで僕は16年連続Aクラスになれた」

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

谷繁 野村さんのボールを受けた最初の頃は、「ああ、これがプロの球なんだ」と思いましたよ。真っすぐのキレというんですかね。スピードは140キロちょっとでそれほど速くないんですが、それが全部ファウルになる。だから思い切って攻めることができました。ただ、年齢を重ねるたびにキレが悪くなってきましたね。日本一になった1998年はギリギリ大丈夫でしたけど(笑)。

野村 その翌年からまったくダメだったよね。もう、キャンプの時からダメだった。

谷繁 やはり、キレで勝負するピッチャーには、そういうところがありますね。これまでいろんな人のボールを受けてきましたけど、長く続けている人はそのキレがなくならないからやれるのだと思います。それはスピードガンの数字じゃない。球の質ですね。

野村 ファウルを取れなくなるとキツイ。「もっといいボールを投げなきゃいけない!」となって、厳しいコースに投げようとするけど、ボールになって、カウントを悪くしてしまう。まさに悪循環。そうなるとバッターとまともに勝負できなくなる。

谷繁 キレがあった時は、少ない球種で勝負できていましたよね。真っすぐとスクリューが主体で、あとはカーブが「一応ある」という程度で。スライダーを投げ出したのは、野村さんが引退される少し前ぐらいですよね。最初は3つの球種だけだったんですが、それでも抑えていたんだからすごいですよ。

野村 カーブもあまり使っていなかったし、実質サインは2つだけ。ストレートとスクリューを左右に投げ分けていた感じだった。僕は1998年がピークだったなぁ。

谷繁 本人がそう言っているので、そういうことなんでしょう(笑)。

野村 シゲとバッテリーを組んでいて、今でも忘れられないシーンがあるんだ。それは、まだ広島にいた金本(知憲)と対戦した時。追い込んでからアウトコースのややボール気味のところにストレートを投げたんだけど、それを左中間にバチーンと打ち返された。その時に、しかめっ面でシゲのことをにらんだら、マウンドにトコトコ来て、「嫌だったら首振って下さいよ!」と言われたのを覚えている。

谷繁 覚えています(笑)。

野村 どう考えても、読まれたとしか思えなかった。それが悔しくて、ついシゲに当たってしまった。でも、ズバッと言いに来たのを見て、「コイツ、自信を持ち出したな」と思ったことを覚えている。

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