谷繁元信が今だから語る「監督就任と組閣の舞台裏」 (4ページ目)

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

野村 僕らピッチャーも記憶力は大切だけど、抑えたことよりも打たれた時の事の方が良く覚えているよ。北別府(学/元広島)さんなんかは今でも一球一球、鮮明に覚えているからね。

谷繁 昔の人ってそうなんですよね。杉下さん(茂/元中日)なんか今年89歳ですよ。そんな方が「19XX年のX月X日の試合で…」なんて話をしますから。昔の人って本当に記憶力がいいなと思います。60年くらい前の話ですよ。覚えてます? いや、まだそんな経ってないか(笑)。

野村 でも、まあ我々の15年、20年とは全然違うよね。

── 昨年限りで引退した佐伯貴弘さんが二軍監督になり、友利結(デニー友利)さんや波留敏夫さんなど、横浜時代からご存知な面々をコーチとして呼んだ点についてはどうですか?

野村 過去に中日に在籍した方々がほとんどでしょ?

谷繁 はい。だから、“横浜色”というのはないですよ。僕が佐伯を二軍監督にしたいと申し出たのは、25年間のプロ生活でアイツより練習した者を見たことがなかったから。誰よりも練習した男が監督なら「あなた、練習してなかったじゃないですか」とは言えないですからね。説得力がありますよ。みんな素質があってプロに入ってきているので、あとはどれだけ練習して、強い体を作って、精神的にも強くなるかですから。それに、中日は厳しいとよく言われますけど、僕は当たり前だと思うんです。仕事なんでね。頑張ればいつか花開くと信じてやるしかないですから。

── 将来的に野村投手コーチというのはないですか?

谷繁 僕の下でやるの、嫌でしょ?

野村 いやいや(笑)。ドラゴンズって地元の意識がものすごく強い印象なんですよ。ヨソ者になってしまうでしょう。

谷繁 僕もそうですよ。選手として何年もやっていますけど、今まではどこかしらそういう部分を感じたことがありました。でも、それは去年までです。新しい体制になった時点で、まったくないと思います。ただ、どうだろ? 言葉は悪いですけど、今までのドラゴンズは生え抜きにちょっと甘いところはあったかもしれませんね。

野村 それはどこの球団でもあることだよね?

谷繁 いや、横浜は厳しかったじゃないですか。生え抜きが誰も帰れないですから(笑)。プロの世界といえば、プロの世界ですけどね。

野村 まあ、先のことはわからないけど、名古屋ドームの一塁側から自分が出て行くというのはなかなか想像がつかない。

谷繁 僕だって、横浜スタジアムの三塁側のベンチから試合見るなんて、まったく思いませんでした。最初は変な気分でしたよ。それが今では監督になるんですからね。人生わからないものですよ。

次回に続く

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