斎藤佑樹の覚悟「何が待っていたとしても、それも僕の人生」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

 試合後、斎藤に「一軍で投げたことが栄養になったのか」と訊いた。すると、彼は「投げてみてマイナスになることは一つもなかった、恐怖感もなかった、これから投げたくなくなるなんていうこともなかった」と、立て板に水の如く答えている。ということは斎藤は投げる前に、投げてマイナスになるのかもしれない、恐怖を感じるのかもしれない、投げたくなくなってしまうのかもしれないと心配していたのだろうか。

「......うん、心配、してましたね。心配してました。だって、やっぱり投げたくないという気持ちもありましたし、100人が100人、投げるべきだという状況でもなかった。投げて打たれて、ここまでやってきたことを信じられなくなるのも怖かったし......でも、そんな中で栗山監督が『投げてみて』と言ってくれました。あの日のマウンドはそういう場所だったので、そこには何か、僕が進むべき方向を見出せる、意味深いものがあるんじゃないかと思ったんです。もしかして、投げたら何かスイッチが入るかもしれないという兆しも感じていましたし、いずれは通らなければならない道ですから、それなら通ってみようと......どんなことが待ち受けていたとしても、それも僕の人生ですから」

 覚悟を決めて投げた、78球──。

 バファローズ打線を相手に、シングルヒットを5本浴び、四死球を6個与え、失点は6。

 あの日の一軍のマウンドには、何があったのだろう。

「それが、何もないんです。何もなかった......あらかじめ準備をしていったから、何事もなく済んだのかもしれません。信念を強く持って、何があっても今までやってきたことの延長線上だから、たとえ悪くても、どれだけボコボコに打たれても、何も変えないようにしようと心に決めて登板したんです。その結果、良くも悪くもなかった。投げてみてダメージが残ったわけでもないし、すごくいい感触が残ったわけでもない。今、思えば、何もなかったことが、とてもプラスだったんじゃないかと思います」

 斎藤はあの日に投げたボールをほとんど覚えていない。

「初球......何を投げましたっけ。インコースですか? ストライク? いや、全然思い出せないんですよ。あの試合、ほとんど記憶になくて、なぜだろう、何も覚えてないな。あの日、何を着ていたかな。けっこう、着ていた服は覚えてるんですけど、どんな服を着ていたかも思い出せない。ああ、試合が終わってから武田勝さんに誘っていただいて、食事をしました。それは覚えてます。『無事に投げられてよかったね』と言って頂いて、一緒に鉄板焼きを食べました(笑)」

 何事もない、平穏無事な一日。

 おそらくは、そういう日になることを祈っていたからこそ、細かいことを記憶に留めたくなかったのかもしれない。避けて通れない一日を終えたこの日の帰り際、10月に宮崎で行なわれる若手中心のフェニックス・リーグに向けて課題を問うと、斎藤はこう言って笑った。

「宮崎では、"脱力"がテーマですね」

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