イチローの22年。「次の1本への執念」は変わらない

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo
  • photo by Getty Images

【4000の喜び、8000の悔しさ】

 イチローは渡米数年前からヒット1本の価値を強く意識していた。いや、意識していたというよりも、意識せざるをえなかったとする方が妥当だろう。ヒットを積み重ねることで敵バッテリーの対策は増え、ファンや同僚たちからの期待は重圧となってのしかかった。打者は基本的に相手の配球に受け身であり、その挑戦をはねのけ続けるしかない。結局いかに思い通りにいかないことが起こっても、なぜそうなったかを自分なりに突き詰め、客観的に対処することしか打開の道はなかった。その繰り返しに耐え続けた者が次の1本を打つ資格を手にする。

 4000安打に要した日米通算打数は11704。通算打率3割4分2厘の高打率でも、1安打あたり1.93の凡打があった計算だ。

「こういう時に思うのは、いい結果を誇れる自分ではないということ。僕の数字(4000安打)で言えば8000回は悔しい思いをしてきている。誇れるとすれば、その気持ちと自分なりに向き合ってきた事実じゃないかと思う」

安打の喜びではなく、凡打の苦しみを4000安打達成の直後に口にしたことがイチローらしい。

 木村恵二から聞いた話で興味深かったのは、オリックス時代終盤のイチローには「甘いスライダーを投げる」という対策が存在したことだった。

「1994年からどんどん技術も力も(1本目当時に比べて)上がっていった。調子がいいときはそれこそ何を投げても打たれたし、その頃はかえって甘い球を投げたほうが打たれなかった。たとえば普通のスライダーをインコースの高めに投げるとけっこう打ち上げてくれる。甘いからなのか、やっぱりちょっと力が入ってしまうんですかね」

 そんな木村の述懐を、10年連続200安打を果たした頃のイチローにぶつけたところ、木村が西武に移籍してから(1999年以降)の苦手意識を認めている。

「高卒1年目の頃の僕は『木村さんなんて』って思っている。でも何年か首位打者をとった後の僕は『木村さん厄介だな』と感じている。これは怖さを知らないことと、怖さを知っていることの違いではないですかね」

 積み上がっていく数字とともに苦悩は大きくなった。そんな高みを走り続ける者の葛藤を垣間見た思いがした。

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