自称「大阪桐蔭で一番下手だった」男の唯一のエピソード 5年先輩の中田翔を「しょうくん」呼ばわりに同級生は騒然 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

「あの頃の気持ちは、正直にいうと、センバツの時は甲子園が長引けば練習する期間が短くなるので『勝ってくれ』と。逆に、夏は負けたら早く夏休みになるから......みんなには申し訳ないですけど、僕はそんな気持ちでした」

 そう語る小柳だが、実際には夏の大阪大会の時はデータ班として各球場で相手チームのビデオを撮り、甲子園期間中もメンバーが練習している間、次戦で対戦の可能性があるチームの試合映像を見て分析。仕事には前向きに取り組んでいた。

「やっていくと面白い部分があって、苦ではなかったです。どこまで成果があったのかはわかりませんが、西谷(浩一)監督が『データ班のおかげで』と言ってくれていたのは覚えています。あと、甲子園では試合前のシートノックにメンバー外の3年生が手伝いとして入れてもらい、夏のグラウンドに立てた。あれは素直にうれしかったです。大阪桐蔭でやってきてよかったと思えた一瞬でした」

 高校時代の3年間で楽しかった思い出は何かと聞くと、しばらく考えた小柳が口にしたのは、引退後のささやかなひと時だった。

「夏が終わってからも、ほとんどみんな大学や社会人で野球を続けるので、3年生も練習するんですけど、休みをとるのは自由で外出もOK。それで平尾とカラオケに行ったんです。平尾とはクラスが同じで仲もよかったほうだったので、何かのタイミングで『行こう!』となって。ただ、夜の9時には寮に帰らないといけなくて、バスも1時間に1本程度。全然ゆっくりできなかったんですけど、歌い始めて何曲かしたら突然涙が出てきて。ほんと突然で、自分でもびっくりしたんですけど、たぶん『これが普通の高校生の生活か......』と思って泣けてきたんですよね。自分なりにいろいろと堪えて、抑えていた感情もあったのかもしれないですね。あのカラオケボックスのことはよく覚えています」

 高校を卒業後、時間が経つなかでチームメイトへの感情も、母校への思いも変わっていった。

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