「高校で活躍してプロ野球選手に」の夢は入学すぐに断念 大阪桐蔭「藤浪世代」の控え捕手は「とんでもないところに来てしまった」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

 当時は、各大会ともベンチ入りは18人。そのなかで当時の大阪桐蔭のベンチ入り捕手は、1学年下の正捕手・森友哉と、秋の大会で背番号12を背負った同級生の藤原勇太が有力とされ、残る枠は一枠。

「17番か18番でもうひとりキャッチャーが入るだろうというところで、僕と尾下(皓亮)と倭(慎太郎)らで争っていたんです」

 結果、森島は春、夏ともにベンチ入り。表舞台で活躍することはなかったが、この代の話になった時、チームメイトや監督の西谷浩一の口からしばしばその名前が出る。たとえば西谷は、かなりの確率で「いい男ですよ」とひと言入れてから、決まりの言葉を続ける。

「もし僕が会社の社長をするとしたら、必ず森島には声をかけます。そういうヤツです」

 この言葉で、森島がいかに信頼され、チームに必要な戦力だったかがわかる。

【5年越しの思いを実らせ大阪桐蔭へ】

 現在、森島は福岡県の博多にあるTOTO株式会社九州支社の営業マンとして、サラリーマン生活を送っている。

 出身は大阪府豊中市。大阪桐蔭の最大のライバル・履正社の地元で育ち、豊中リトル、豊中シニアで野球に夢中になった。当時は阿部慎之助と城島健司のファン。左の強打の捕手兼投手として成長していくなか、大阪桐蔭への憧れが膨らんでいった。

 当時、森島の父はスポーツメーカーに勤務し、大阪桐蔭にも出入りしていた。森島の小学5年の冬、豊中リトルが大阪桐蔭も練習試合などで使用する龍間グリーンフィールドの野球場で試合を行なうことがあった。その帰り、父が「見に行ってみるか」と、そこから車で7、8分のところにある大阪桐蔭の練習グラウンドへ連れて行ってくれた。

 西谷や部長の有友茂史らとも顔見知りの父に連れられ、グラウンド脇から練習を観戦。ここで森島の心は決まった。

「とにかくカッコよくて、『これが高校生?』って感じで、驚きでした。ちょうど大阪桐蔭OBで阪神から1位指名を受けた岩田(稔)さんがあいさつかなんかで来られていて、そこに夏の甲子園で活躍してドラフト1位で中日に指名された平田(良介)さん、1年生だった中田(翔)さん......あまりの豪華さにテンションが上がって、『オレも絶対ここに行く!』と一瞬にして気持ちをつかまれたのを覚えています」

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る