大阪桐蔭「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙と、大谷翔平と韓国の街中で猛ダッシュの思い出 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

「気合い入れな、甲子園行かんまま終わるで」
「なんのために山の中で毎日こんな練習してるんや」
「秋に大阪、近畿を勝って、まずセンバツや」
「センバツだけか? 夏もやろ!」
「甲子園に行くだけか? 優勝でもせんと割に合わんやろ」
「ほんまやで。よっしゃ、春夏連覇や! これでいこう」

 水本曰く「いつでも盛り上がれるチーム」に、ここで明確なスイッチが入った。すると秋は大阪大会を制し、近畿大会ベスト8。翌春のセンバツ出場が決まり、待望の甲子園となった。

「大阪桐蔭に来るような選手は、目標が決まったらそこに向かってひたすら努力できる子が多いんです。逆に目標がなかったり、ぼやけている時が一番大変で、一歩を踏み出すまでのゼロイチに弱い。でも、目標が決まって踏み出せば1から100のスピード感はかなり持っている。あのチームもそんな感じでした」(水本)

【プロをあきらめさせた出来事】

 スイッチが入ったチームは負けなかった。際どい戦いを制してセンバツ優勝を飾ると、夏の甲子園決勝でもセンバツと同じ顔合わせとなった光星学院(現・八戸学院光星/青森)を返り討ちし、甲子園10戦全勝で春夏連覇を達成した。『Best Friend』の記憶から始まった約2年半の高校野球生活は、胸のすくような解放感とともに幕を閉じた。

「終わった瞬間は『勝った!』というのはもちろん、『やっと終わった!』『解放された!』というのが一番でしたね。あの一瞬の気分を味わうために、毎日、毎日、野球、野球......って、ほんまによくやりました」

 ただ解放感に包まれても、燃え尽きることはなかった。次の目標は、4年後のプロ。ひと足先にプロに進んだ同級生たちに続くべく、目指す場所ははっきりと見えていた。

 亜細亜大に進んだ水本は1年春からレギュラーを獲り、東都リーグでベストナイン、新人王も獲得。ところが、これ以上ないスタートを切ったにも関わらず、水本は人知れず不安を感じていた。

「高校の時、足が速いとは思っていなかったんですけど、遅いとも思っていなかった。それが大学に来て『あれ、オレ足遅い?』と。大学に入って体重が増えたこともあるんですが、『外野を守って、走れんかったらプロは無理や』と、急に現実に気づかされて、『まずいな』ってなったんです」

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