勇退する甲子園通算40勝の名将 鬼から仏に変わったのはいつ?「叱るよりも褒める」指導者人生 (2ページ目)

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki

── 選手との距離も以前とは変わった?

「子どもたちには笑顔、笑顔と言い続けました。東邦時代には考えられないパフォーマンスをしておどけたこともありました。風呂も一緒に入ったり、"脱・鬼監督"を目指していました」

── 今では多くの高校で月曜日を休養日にあてていますが、早い段階で取り入れられていました。

「そうですね。練習と休養は車で言うと両輪。どちらが欠けても走らない。疲労回復はケガの予防にもなります。私自身は、24歳で運転をやめました。万が一、事故が起きたら子どもたちに迷惑がかかりますから」

【寝ても覚めても野球の毎日】

── 監督をされている間はどんな生活を送られてきたのですか?

「寝ても覚めても野球でした。枕元にバットとノートを置いていました。夜中に必ず目を覚ますので、その時に思いついたことや明日の練習方法などを忘れないように書き込みました。あとなぜ打てないのか、バットを振って考えたりしていました。練習開始時間まで待てないので、昼休みに子どもたちを集め、素振りさせたこともありました」

── 一番印象に残っている試合は?

「大垣日大での、2014年夏の甲子園初戦で藤代高校(茨城)との試合です。初回に8点先制されましたが、終盤で逆転して12対10で勝利。子どもたちは本当によくやってくれました。あの試合は忘れられないですね」

── 2011年にはセンバツ直前に東日本大震災が起き、対戦相手の東北高校にボールを寄贈しました。

「お互い全力で試合がしたかったので」

── 長い監督人生のなかで、教え子をプロに送り出しています。

「東邦では、山倉和博(元巨人)、朝倉健太(元中日)、大垣日大では阿知羅拓馬(元中日)、橋本侑樹(中日)らがいます。まだ現役でやっている選手は、1年でも長くプレーしてほしいと思います」

── 後任監督は決まっているのですか?

「副部長の高橋正明コーチにお任せする予定です。彼は技術だけじゃなく、人間的にもすぐれたものを持っている。間違いなくやってくれるでしょう」

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