大谷翔平の「憧れるのをやめましょう」はアマ球界にも浸透 ドラフト候補たちが口にする「大谷的思考」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 同じく来年のドラフト候補に挙がる麦谷祐介(富士大3年/大崎中央)の言葉も強烈だった。試合後の囲み取材中、「憧れの選手はいますか?」と問われた麦谷は毅然とした態度でこう答えた。

「人に対して憧れを持ってしまったら、もう超えられないと思うんです。自分は自分、そう考えています」

 大谷からの影響を強く感じさせるコメントではあるが、一流を目指すアスリートなら当然の思考なのかもしれない。

【大谷翔平は幕末が好きだった】

 我々メディアの人間は、取材対象のアマチュア選手に「憧れの選手」「目標とする選手」を安直に聞いてしまう。有名選手の名前が挙がれば、見出しにもなりやすい。

 だが、誰かの人生をトレースしたいと考えている選手に、見る者の心を打つプレーができるのだろうか。自分は自分にしかなれない。ならば、極限まで自分を高め、まだ見ぬ自分になりたい。そう願うのがアスリートの本能なのだろう。

 大谷自身、「誰かのようになりたい」と願って今の姿になったわけではない。むしろ逆だ。

 筆者は花巻東高校時代の大谷にインタビューをしたことがある。好きな授業の話を聞いた時、大谷は「日本史」と答えたうえでこう続けた。

「とくに幕末が好きです。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。『革命』や『維新』というものに惹かれるんです」

 大谷がドラフトの目玉格になりながら高卒でMLBを目指したのも、ドラフト会議で強行指名された日本ハムから「二刀流」という選択肢を示されて日本に残ったのも、すべては「誰もやっていないことを成し遂げたい」というパイオニア精神に突き動かされたからだろう。

 今や大谷翔平という存在はアスリートの枠を超え、もはや「歴史上の人物」になった感すらある。憧れている者も世界中にいるはずだ。もちろん、大谷に憧れること自体は否定すべきではない。

 それでも、ひとりの野球ファンとして夢想してしまう。大谷すらも憧れとせず、大谷を超えるべく奮闘する新たな挑戦者の登場を。

プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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