慶應を107年ぶりの日本一へと導いた「ストーリー」「脱・丸刈り」「甲子園で勝つ3条件」 (4ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 神奈川大会決勝の横浜戦では、3対5と2点リードされて迎えた9回表無死一塁でセカンドゴロ。送球が4−6と渡りアウトと思われたが、遊撃手の足が離れたとセーフの判定。一死一塁のはずが、無死一、二塁となり、直後に渡辺千が逆転の3ラン本塁打。あの判定がなければ、甲子園に来られていたかどうかもわからない。

 そして、甲子園の決勝では風。この日はいつものライトからレフトに吹く浜風とは逆で、レフトからライトへと吹いていた。この風だと、ライト方向への打球は伸びる。いつもの浜風なら、初回の丸田の本塁打は押し戻されてライトフライだった可能性が高い。風について、同じ左打者で自身も今大会2本塁打を放った仙台育英の捕手・尾形はこう言った。

「今年はいつもと違う風だった。初戦の浦和学院戦はその風で、自分たちが本塁打を打てたり、長打になったりしたんですが......最後の最後でやられたって感じです」

 ではなぜ、慶應は運を味方にすることができたのか。背番号16の足立然に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「いい表情でやっていれば、いい結果が出る。あとは、"ありがとう"を増やしていくことを意識していました。自分たちらしい野球を続けることに意味がある。(運を味方にできたのは)自分たちらしい野球がずっとできたからじゃないですか」

 元号が大正だった1916年以来、史上最長ブランクとなる107年ぶりの日本一に加え、センバツ初戦でタイブレークの末に敗れた仙台育英との再戦というストーリー。"脱・丸刈り"が話題になったというプラスアルファ。そして実力、勢い、運......。今年の夏、勝つ要素がすべて揃っていたのが慶應だった。

「春負けてから、ずっと仙台育英を倒そうと目標を立てて練習してきました。マンガに描いたかのようなシナリオ。自分たちの時代が来ているんだととらえました」

 キャプテンの大村がそう語ったように、まさにシナリオどおりの展開。今年の夏、"日本一からの招待"を受けたのは慶應義塾だった。

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