「高校野球は変革の時。監督も勉強をし直す必要がある」PL学園元監督・中村順司と帝京名誉監督・前田三夫の指導論 (2ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

●「PLの空気を目一杯吸って帰れ!」

前田 施設の面でいうと、帝京は今でこそ専用グラウンドですが、長らくサッカー部と校庭を二分して練習していました。室内練習場もなく、PLとは対照的。でもこのハングリーさが勝つための原動力でもありましたね。そして、早く力をつけるには強豪チームと試合をすることだと考え、山本(旧姓・鶴岡)泰さんが監督の時代に初めてPLの球場に行ったんです。

 のちにヤクルトに入団する伊東昭光を擁してセンバツで準優勝した時で、試合は1−2で負けましたが、互角に戦えて自信になりました。今考えたら、よく受けてもらえたなと思いますね。選手にはとにかく「PLの空気を目一杯吸って帰れ!」と言っていました(笑)。

40年以上前、前田三夫氏。現役監督時代は「鬼軍曹」と呼ばれた40年以上前、前田三夫氏。現役監督時代は「鬼軍曹」と呼ばれたこの記事に関連する写真を見る中村 そうだったんですか。私は当時、コーチだったのかな。

前田 中村さんとじっくりお話できたのは、PLが1987年に春夏連覇した直後の日米親善野球の時ですね。中村さんが監督で、私がコーチ。中村さんは打撃にしても守備にしても理論をたくさんお持ちで、全部聞きましたよ。私は現役の時に内野手だったので、今でも鮮明に覚えているのがグローブの使い方。とにかく基本をとても大切にされていました。

中村 選手たちには長く野球をやってもらいたいと思っていたので、こだわったのはとにかく基本。立ち姿勢から歩き方、投げ方、打ち方、捕り方。それを体のつくりから理解させ、無理や無駄のない動きを身につけさせるんです。

 たとえば、捕球の仕方が違うと投げ方も変わってきて、ボールがシュート回転しやすくなる。シュートすれば捕球する側も捕りにくいし、その投げ方で肘を痛めたりもします。

前田 PL出身者はこうして基本をしっかり押さえているからケガが少なく、息の長い選手が多かったんですね。

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