大阪桐蔭、甲子園デビューから30年。「王者の歴史」はひとりの中学生獲得から始まった (3ページ目)
真っ先に目をつけた選手が、大東畷ボーイズの井上大と萩原誠だった。「吉村のようなバッティングセンスがある井上」と、「清原和博のようなスラッガータイプの萩原」にとことんほれ込み、彼らが中学1年の時から追っていた。
ある時、中学野球の関係者から、井上の両親の行きつけの中華料理店を教えてもらった。選手の親に交渉することは禁止されていたため、あくまで偶然を装って通い、店主にはそれとなく井上夫妻のことを尋ねていた。
はっきりと覚えている。3回目だ。当時コーチだった有友茂史とともに、店の暖簾をくぐると井上夫妻がいた。
「私たちに何かご用ですか?」
相手から切り出されたため、ふたりはありったけの熱意を込めて「大くんを大阪桐蔭で面倒見させてください!」と頼んだ。
井上の両親は、観念したように森岡と有友にこう告げたという。
「今までたくさん店に来てくれていたみたいやし、話も聞かせてもらいました。うちの大を先生たちに預けますから、3年間頼みます」
有友と喜び勇んで帰路に就いたあの日のことを、森岡は忘れられないと言う。
それは決して大人たちの都合ではなく、井上本人が望んだ道だった。本音を言えばPL学園や上宮を希望していたが、具体的な話はなかったという。そんななか中学生なりに考え、大阪桐蔭への進学を選んだ。決め手は、森岡からの言葉だったと井上は明かす。
「『甲子園だけが高校野球じゃない。井上くんには長く野球をやってもらいたい。そのために、うちで一緒にやってくれないか?』と言われまして。高校球児なら甲子園を目指すし、僕ももちろん行きたかったですけど、『そういう考えをする人がいるんだ』って。だったら、大阪桐蔭で野球をやってみようかな、と」
そんな井上の想いを森岡に伝えると、少し照れくさそうに返す。
「それしか言えませんでしたから。甲子園に出ていない学校なのに、それを出したところで中学生は響かないと思ったんで......。僕はPLから上のステージに進んで野球を続けている人をたくさん見ていますから、『長く続けてほしい』と伝えさせてもらっただけです」
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