早実・清宮に「脅弾」を浴びた八王子・米原大地が笑顔でいられたわけ (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 昨夏の西東京大会準々決勝、早実は八王子に4対6で敗れ、甲子園2年連続出場の道を断たれている。早実が3点を追う9回表、一死一、三塁の場面でマウンドに立っていたのは、当時2年生だった米原であり、打席にいたのは清宮だった。初球のインコースのストレートを振り抜いた清宮の打球は、角度よくライト後方へと上がった。

 米原が「(ホームランで)同点だ」と覚悟したその打球は、上空の強風に押し戻されるようにして、ライトフェンス手前で失速。あとわずかに伸びればホームラン、という位置でライトのグラブに収まった。結果的に犠牲フライにはなったものの、早実に傾きかけた流れは断ち切られた。この敗戦を機に、清宮は勝負どころでの一打を追求するとともに、「あと5メートル飛距離アップ」というテーマを掲げて取り組むようになる。

 そして1年後、清宮は米原に、そして八王子に雪辱を果たすべく、試合を決定づけるホームランを放ったのだった。

 一方、米原にとって高校生活は光と影の繰り返しだった。中学時代は武蔵府中リトルシニアに所属して春の全国大会で優勝したが、米原は実質3番手格の投手。八王子では入学直後から登板機会を得たものの、1年秋には右ヒジを疲労骨折してしまう。

 2年夏は早実戦まで練習試合・公式戦含めてわずか3イニングしか投げていない「ぶっつけ本番」だった。早実に勝利した勢いそのままに甲子園に出場したものの、初戦の日南学園戦で1回2/3を投げて6失点と打ち込まれ大敗。それでも、3年春には最速147キロを計測して、プロ注目の存在にもなった。

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