「何もしないで勝つ」。柔道・高藤直寿は金メダルのために自らのスタイルを変えた (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by JMPA

 決勝戦のあと、高藤は「これが僕の柔道です」と語ったが、それが5年かけて作り上げきた「何もしないで勝つ」というスタイルであり、攻略本の手順を踏んだ勝利だった。

 テレビでは、泣きながら井上康生・男子日本代表監督と抱き合うシーンが非常に印象的だった。後日、井上監督に、こう言われたという。

「今まで見てきたなかで、あの日の直寿が一番強かった」

 高藤はこの言葉の意味を、自分なりに解釈した。

「井上先生は、負けないという戦いができていたことを評価してくださったんです。改めて僕の柔道をよく見てくれていたんだなって思いました」

 高校時代からよく知り、大学時代は井上ゼミを受講していた。7年前には遅刻のしすぎで井上監督を坊主にさせてしまったが、それ以降、心を入れ替えた。寝る時間は思いつきで、食べるものも気にしなかったが、徐々に規則正しい生活をおくるようになり、心身共に成長した高藤を最後まで見守ってくれた。

「これまでずっと一緒に戦ってくれましたし、金メダルでお返しできたのはよかったです」 

 高藤は、安堵した表情で、そう言った。

 自宅の居間には、リオ五輪の銅メダルとともに東京五輪の金メダルが並べて飾られている。この金メダルを一番喜んだのは、息子だった。いつもは試合会場に来ても試合は見ずに走り回っていたが、東京五輪の時はテレビの前でじっと見ていたという。

「家に帰って、実際に見せると『おーテレビで見たやつだ』って、すごく喜んでいました(笑)。生まれた時から家にはいろんなメダルがある環境だったので、ふだんはメダルを獲ってきても『すごい』ということはなかったんですけど、東京五輪の時は、僕が大切に持っているところを見て、五輪のメダルはいつもと違うなというのを感じたんでしょうね」

 妻に対しては、感謝の気持ちが大きかった。

「妻がほぼワンオペ(育児を)してくれていたおかげで僕は柔道に集中できていたので、本当に頭が上がりません。僕が大学生の時に結婚し、若かったこともあり当時は迷惑をかけました。それでも妻は、柔道経験者なのでプレッシャーがかかるところは理解してくれるし、背中を押してくれる。一緒に柔道の試合を見て、審判のジャッジや技など技術的な話も理解できるので、妻といると本当にリラックスできるんです。なので、今度こそ金メダルを獲りたいと思いましたし、実際に獲ることができて妻もすごく喜んでくれました」

 高藤はちょっと照れ臭そうに、そう言った。

 通常の五輪のあとは、柔道の選手は1年ほどゆっくりしながら柔道とつき合っていくが、次のパリ五輪までは3年しかない。東京五輪後は、テレビのバラエティー番組を始め多くのメディアに露出し、個人の自由な時間は「フォートナイト」というゲームを楽しみ、ゲーム実況をYouTubeで配信するなど活動の場を広げた。短いバケーションはそろそろ終わりを迎え、これから徐々に体重を絞りつつ、本格的な練習に入っていく。

「まだ、もうちょっと余韻に浸りたいですけどね。でも、今回はパリまで3年しかないので、もう練習しないとなという感じです(笑)」

 たぶん、数か月後には、ぴちぴちしたスーツにも余裕が出てくるだろう。

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