カープ伝説のエース・外木場義郎が明かした「完全試合」達成の心境 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

無料会員限定記事


 が、それ以上に外せないのが球史に残る大記録。外木場さんは65年10月2日の阪神戦で挙げたプロ入り初勝利をノーヒットノーランで飾っていて、68年9月14日の大洋(現・DeNA)戦では完全試合を達成、さらには72年4月29日の巨人戦でまたもノーヒットノーランを成し遂げているのだ。

 日本プロ野球史上、3度の達成はもう1人、草創期の巨人で活躍した沢村栄治がいる。しかし完全試合はなかった。このことに触れ、[記録の神様]と呼ばれた宇佐美徹也はこう書いている。

<沢村がこの3試合に出した走者は合わせて15人(四球12、失策3)なのに、外木場は1+0+2=3人(四球2、失策1)、数も内容も抜群で非の打ちどころがない>

 1度でも難しい記録を3度もやってのけられた要因はなんだったのだろう。よく、運や偶然が働いた結果といわれるが、3度となるとそれとは別のものがあったのではないか。もしや外木場さんには、大記録達成のスイッチが確実に入る瞬間があったのでは? と考えたくなるが、実際にはどうだったのか。まずはその達成回数について聞いた。

「まあ、私の場合は3度ねぇ、結果的にそういう記録ができたんですけども、7回ぐらいまでノーヒットの試合も7度か8度あるんです。だけど、記録は狙ってできるものでもない。私は弱い球団でありながら運がよかったんです。やはり、偶然的なものがいろいろ重なって結果につながるわけですから」

 歯切れのいい、よどみない語り口だった。やはり、3度達成でも運と偶然は不可欠と考えている。偶然という意味では、1度目のとき、本来は外木場さんではなく、7年目左腕の大羽進(おおば すすむ)が先発予定。その大羽が練習中に膝を故障し、急きょ、「外木場に投げさせてみたらどうか」となったのだった。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録よりメンズマガジン会員にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る