広澤克実が西武戦を語る。IDとは
視点の変更。優勝の原動力は古田だ
【リーダー】ヤクルト・広澤克実 後編
1993年の第7戦で放った先制3ランの思い出
――前年の雪辱を果たすべく臨んだ1993年日本シリーズ。この年も第7戦までもつれこみましたね。
広澤 この年のシリーズでよく覚えているのが、第4戦に勝ったときのこと。この試合で川崎(憲次郎)が好投して1-0で勝って、対戦成績が3勝1敗になった瞬間、「これで勝った」と思っちゃったんだよね。
――「第4戦に勝った」という意味じゃなく、「シリーズに勝った」と考えたんですか。それはちょっと早すぎるんじゃないですか(笑)。
広澤 早すぎるけど、「勝った」と思っちゃったんだよね。気の緩みっていうわけじゃないと思うけど、そう思っちゃったんだからしょうがない。結局は、第5戦も第6戦も負けて3勝3敗になるんだけど(笑)。3勝3敗になったときには、逆に「今年も3勝4敗か......」という気持ちになったのが、いざ第7戦のミーティングが始まると、「絶対に勝つぞ」っていうまた違う感情が芽生えたね。
――3勝3敗で迎えた第7戦。スワローズはいきなり初回に3点を奪います。四番を務めた広澤さんの先制3ランでした。手応えなど、ご記憶にありますか?
広澤 もちろんあります。第7戦、「よーい、ドン」の最初の打席でしたからね。緊張感はマックスでしたよ。でも、1992年の初戦のときは足の震えがとまらなかったのに、このときは震えはなかったですね。あの場面は1アウト1、3塁だったと思うんだけど、「最低でも犠牲フライ」というか、「最低でも、最高でも犠牲フライ」という感じでしたね。
第7戦の第1打席で3ランホームランを放った広澤氏 photo by Kyodo News――ライオンズの先発、渡辺久信投手のスライダーを見事にとらえましたね。
広澤 渡辺久信のスライダーがよく曲がるんだよね。伊藤智(仁)ほどじゃないけどさ。それで、キャッチャーの伊東(勤)がスライダーばかり投げさせやがって、本当に。
――6球目ファールチップを伊東捕手が落として命拾いをした後の7球目でしたね。
広澤 そうだったの? それは覚えてないな(笑)。
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