【自転車】シマノのエース・畑中勇介がTeamUKYOに移籍したワケ (2ページ目)

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

 先輩と先生って違うじゃないですか。今のTeamUKYOには今年大学を卒業した選手たちもいますが、彼らは高校を卒業してすぐフランスに行った僕とは違うものを学んでいるし、大学でキャプテンなども経験してきた子たちだから、まだ自分は彼らの先輩として接することもできるんです。でも、相手が18歳や19歳になると、先輩というよりもむしろ、指導者のような接し方になってきてしまう。コーチや先生のような立場は、今の自分にはまだ早い。

 そう思って昨年、TeamUKYOに声をかけてみたら、チームのほうは最初、『畑中は長くシマノにいたから動かないだろう』と思っていたのかもしれないけど、僕のほうから訊ねてみることで興味を持ってくれて、それでうまく話が進みました。さらに、スペインからオスカル・プジョルたちが加入するらしいという情報も聞いていたので、彼らや土井(雪広)さんたち、一流選手と一緒に走れることにとても期待をしていました」

 TeamUKYOを選んだもうひとつの理由は、畑中自身が欧州のレースを走るという目標を、今でも持ち続けているからだという。

「やっぱり、まだちょっと、外に行きたいという気持ちがあるんですよ。ジャパンカップで入賞(2010年・3位、2011年・5位)した直後なんて、履歴書を海外のチームにどんどん送ったし、日本人を欲しがっているチームがいるとか、日本のサプライヤーが支援しているチームがあると聞けば、積極的にアプローチもしました。

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