【自転車】片山右京「ツール参戦までにクリアすべきこと」 (3ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira photo by AFLO

 競技水準向上のために、選手育成が急務であることは多くの人々の指摘するところだが、この課題について、山口氏は今年のツール・ド・フランスの覇者ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア/アスタナ・プロチーム)を例に挙げる。

「彼はイタリアの若手エリート育成システムに乗って、リクイガス(イタリア/現キャノンデール)というチームに所属し、そこで成長していきました。そして、ツールで総合3位を獲得するくらいまで育ったときに、イタリアを離れてカザフスタンに本拠地を置くアスタナ・プロチームに移籍したんです。イタリアの育成システムはとても良かったけれども、それではツール・ド・フランスで総合優勝できない――。そこで、レースでの指示系統が冷酷な環境のアスタナへ行って、さらに才能が開花した。厳しい環境の中で、プラスアルファで才能が上積みされたことにより、彼はツールで不動の圧勝をしたのだろうと思います。

 さらに、ヨーロッパの子どもたちの場合は、町の自転車屋さんがフレームを用意してくれるから、タダで乗るチャンスがあるんです。ゲーム感覚の愉しい遊びや大会で、操縦感覚を学びながらどんどんレベルアップしてゆき、本格的に自転車選手になりたいと決心するころに自分で買う――というふうに、段階的にステップを踏んでゆくことができる。伝統や地域の文化に支えられた環境があるからこその強豪国、なんじゃないかと思います」

 そんな欧州で、将来的にTeamUKYOが数々の強豪選手やチームを相手に、互角に戦って行くことは果たして可能なのだろうか。

「当初の計画の中でも、来年くらいからヨーロッパに拠点を持つという青写真はあったと思うし、活動していくこと自体は普通にできると思います。今年のポルトガルのように勝てないレースを戦いながら、少しずつ上を目指していくことになるのでしょうが、その活動の中で結果を出し続けることができるのか、日本の自転車界に還元できる何かを生み出せるのか。そして、大きなスポンサーを獲得することができるのか――。将来的な高みへ向かって歩んでいく中で、クリアしなければならない目標はたくさんあるだろうし、そこは右京さんが一番苦労をしているところだろうと思います。

 当初の計画どおりに進まなければ、無理だったといってあきらめてしまうのか。あるいはあと3年がんばれば達成できそうだと思って、さらにがんばるのか……。そのあたりの右京さんの考えをうかがってはいませんが、不可能に思えたことでも今まで次々と達成してきた人なのだから、絶対にあきらめてはいけないと思います」

 必ず行ってくれよ、という思いで、今後も活動を見ています。

 ツール・ド・フランスを最もよく知るジャーナリストは、温和な口調でそう締めくくった。

(次回に続く)

プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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