宮司愛海アナが迫った池江璃花子の原点。恩師から聞いた意外なエピソード (2ページ目)

  • 佐野隆●写真 photo by Sano Takashi


話を伺った清水桂コーチと宮司愛海アナ(写真提供:フジテレビ)話を伺った清水桂コーチと宮司愛海アナ(写真提供:フジテレビ)
 お話を伺ったのは、池江選手の小学生時代のコーチ・清水桂さんです。

 清水さんがコーチとなったのは、池江選手が小学2年生の時。3歳から水泳を始め、5歳で自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライの4泳法を習得した池江選手は、幼稚園・年長のころ選手コースに上がり、飛び級システムのない「東京ドルフィンクラブ」で着実に一つ一つテストを合格しながらクラスを上げていったそうです。

 清水さんの、当時の池江選手の印象は「細い子」。そのころは身長もあまり高くなく、とにかく細い。なのに、もともと筋肉質なのか、筋肉はきちんとついており、「細いけどマッチョな子だった」と言います。

 50mと100mバタフライで日本記録を持つ池江選手が、バタフライを本格的にメイン種目としたのは小学2~3年生のころ。清水さんは当時をこう振り返ります。

「もともと、一番下のクラスから4種目の泳ぎを見ていて、どれも速かったのですが、やっぱりバタフライが一番速かったですね。選手(コース)に上がったところからバタフライが一番強かった。そこで、そのまま伸ばしていこうという話になって、4種目をやりつつバタフライを少し中心にして練習してきましたね」

 しかし、バタフライは4泳法のなかで特にパワーを使う種目。練習も最もハードです。バタフライが池江選手の代名詞となった背景には、並外れた練習量と強い気持ちがあったに違いない......そう思いながらお話を聞いていると、清水さんの口から意外な言葉が。

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