息子を訪ねて1300キロ。坂本勇人2世、武岡龍世を支える家族の献身

 そしてついに、武岡選手の名前が呼ばれる瞬間が来ました。ヤクルトの6位指名、全体の61番目。その瞬間、武岡選手は大粒の涙を流して泣いて、「よかったー」とひと言。プレッシャーから解放されたということもあると思いますが、武岡選手は本当にボロボロと泣いていて、母・みどりさんがすぐハンカチを渡していました。私も思わずもらい泣きしてしまいました。

 武岡選手の実家は徳島県で、ご両親は祖父母と淡路島の玉ねぎ農家を営んでいます。ご両親は、息子の試合を観るために、なんと車で約1300キロの距離を18時間かけて応援に来ていました。最初は飛行機で移動していたのですが、1日昼の1便しかなく試合の途中で泣く泣く空港へ向かうこともあったそうです。そんな中、息子のホームランを見られなかったこともあり、時間にとらわれず最後まで試合を見られる、車での移動に変更したのです。また、武岡選手の兄・大聖さんは系列の八戸学院大学に通っているため寮も隣で弟をサポート。そうした家族の絆や家族愛が、武岡選手を支えていました。

ドラフトでヤクルト6位指名の武岡龍世 photo by AFLOドラフトでヤクルト6位指名の武岡龍世 photo by AFLO ドラフト当日のTBSの番組『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう』のVTRでも紹介されていましたが、武岡選手が子どもの頃、徳島の自宅近くの公園に克明さんが持ってきたベースを埋め込んで特設のバッターボックスを作り、いつも夜遅くなるまで練習を一緒にしていたそうです。そうやって野球に打ち込むことができる環境を作ってくれたご両親や、家族の存在があったからこそのドラフト指名。今回取材をした数時間だけでも、ご家族の仲の良さが伝わってきました。

 武岡選手の第一印象は、気配りができてとても礼儀正しい18歳。自分が指名されないかもしれないという不安もあるなかで、応援してくれている皆さんを悲しませたらどうしようという心配もしていました。そうした優しさと一緒に、負けん気の強さも持っています。

 武岡選手が小学生の頃、地元の徳島ホークスでプレーしていた時、主力の6年生が卒業してしまい、3、4学年下の選手も出場しないとチームが作れない状況になって、戦力が大きくダウンしたことがあったそうです。その時、勝てなくて悔しくて、どうやったら勝てるのか何回も泣きながら聞きに来た息子さんの姿を、克明さんは今でもよく覚えているとお話ししてくれました。

 さらに、チームの監督には、「日本一の練習をしてください。勝ちたいんです」とお願いをしていたという武岡選手。勝つためにどうしなくてはいけないかを小学生の頃からそこまで考えて、勝負にこだわっていたのです。

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