「日本代表は永遠に夢」。
槙野智章の存在がハリルJを活性化する

photo by Yamamoto Raitaphoto by Yamamoto Raita 小学校6年生の時にはFWとして出場したフジパンカップ広島県大会で3位。小学校卒業後はサンフレッチェ広島のジュニアユースに入ります。当初は同期の森重真人選手(現FC東京/日本代表)と2トップを組んでいたそうですが、3年生の時、月岡利明監督(元レノファ山口監督)から「ディフェンダーをやってみないか?」と言われたことで、その後のサッカー人生が大きく変わることになりました。

 その時は、ちょうどDFが不足していたらしく、槙野選手は「試しにやってみるか」くらいの軽い気持ちで引き受けたそうです。すると、自分が想像していた以上にうまくプレーできて、そのままDFへの転向を決意します。

 ポジションを変えることに抵抗もあったのではないかと思いきや、槙野選手は「むしろ、このコンバートはありがたかったです。FWとしてはプロで通用しないのでは?と考え始めた時期で、自分の武器はなんだろうと悩んでいましたから。新しいポジションで、サッカーを見つめ直すいい機会になるかもしれないと、前向きにとらえていました」と、このときも今と同じくポジティブ思考だったのです。

 その後、広島ユースに進んで高校2年時からセンターバックとして活躍。2006年にはトップチーム昇格を果たしました。そして、翌シーズン途中から徐々に出場機会を増やしていき、レギュラーに定着。その後、2010年にドイツブンデスリーガのケルンへ移籍しました。2012年からは再びJリーグに活躍の舞台を移し、加入した浦和の中心選手となっていきます。

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