注目のマイク・タイソン復帰戦。絶対マネできない、波乱のしくじり半生 (3ページ目)

  • PROMOTION 水野光博●文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by Getty Images

 トライオン少年院でボクシングに出会い、その才能にいち早く気付いた教官は、名トレーナーのカス・ダマトにタイソンを紹介。その後、カスはタイソンの身元引受人となり、共同生活を始める。

 カスによって才能を開花させたタイソンは、加速度的に成長していった。アマチュアとしてそのキャリアをスタートさせ、1985年3月に18歳でプロデビュー。それからわずか1年8カ月の間に28戦連勝でWBC世界ヘビー級王座まで駆け上がる。

■1秒で3000万円を稼ぎ、宝石をばらまく日々

 20歳と5カ月での世界ヘビー級のベルト奪取は、史上最年少記録だった。さらに28戦を紐解くと、2度の判定勝ち以外はすべてKO勝ち。しかも、KO勝ちのうち15度は1ラウンドでのものだった。

 初戴冠の翌年にはWBA世界ヘビー級タイトル、IBF世界ヘビー級タイトルを獲得して史上初の3団体統一に成功。デビューからこの間、わずか2年半の出来事だった。

 時代の寵児となったタイソンは、唸るように大金が舞い込むことになる。

 1988年6月のマイケル・スピンクス戦、タイソンのファイトマネーは当時の報道によると2200万ドル(当時の為替レートで約28億5000万円)。試合はわずか91秒でタイソンのKO勝ち。つまり1秒あたりタイソンは約3000万稼いだ計算になる。

 ただ、この時すでに、終焉の足音は近づいていた。

 厳密に言えば、恩師カス・ダマトがデビュー11連勝を飾った直後の1985年11月になくなった時点から、終焉の足音は忍び寄っていた。

 自制が効かなくなったタイソンは、快楽に溺れる日々を過ごすようになる。

 20万ドルするダイヤの腕時計をして、一晩のパーティーに40万ドル使い、取り巻きに宝石を配ることもざらだったとESPNはその放蕩ぶりを報じている。

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