フィーゴを苦悶させた残酷なクラシコ。
バルササポの慈悲なき仕打ち

  • 中山淳●文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Getty Images


 移籍金は当時の史上最高額100億ペセタ(当時のレートで約70億円)。ビッグディールの仕掛け人は、レアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長だった。「フィーゴをバルセロナから獲得する」という公約をその夏の会長選挙で掲げたペレスは、その反響もあって選挙に勝利すると、同じ時期に行なわれたバルセロナの会長選挙翌日にフィーゴの入団発表会見を行なったのである。

 その日から、バルセロナの人々は愛するクラブに背を向けたフィーゴに裏切り者のレッテルを貼った。ペップ・グアルディオラ不在時にはキャプテンマークを腕に巻き、当時のバルサの象徴にもなっていた最愛のアイドルを、心の底から憎むようになった。

 フィーゴが白い背番号10のユニフォームを身にまとい、5年にわたってバルサの歴史を重ねたカンプノウのピッチに立った時、果たしてバルセロナの人々はどのような反応を示すのか? そしてその時、フィーゴは何を思うのか?

 当時レバノンで開催されていたアジアカップを取材していた筆者が、日本代表戦取材から一時離脱し、深夜便でバルセロナに飛んだ理由もそこにあった。いつもとは違う伝統の一戦を、どうしても自分の目で確かめたい。その一心から実行した強行軍だった。

 バルセロナに到着した試合当日の朝、街のキオスクで目にしたのはスポーツ紙『マルカ』の一面を飾った大きな耳の写真だった。そこには「フィーゴ、今日はお前の耳にタコができるぞ!」という見出しが躍っていた。

 9万8000人vsフィーゴ。それが、その日カンプノウで行なわれたクラシコの構図だった。実際、フィーゴがボールを持つたびに激しい口笛と怒号がスタジアムに響きわたり、フィーゴがタッチラインに近づけば、すかさずスタンドからはペットボトルやコインなどが投げ入れられた。ピッチには、フィーゴの顔が描かれた100億ペセタ札をイメージした紙も散らばっていた。

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