ブラジル代表の名選手が「神」と称えたスパイク。モレリア開発秘話 (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • photo by MIZUNO


 安井がスパイクにのめり込み始めたのは、中学生時代のことだった。「(サッカー部では中学1年の)夏前までスパイクを履かせてもらえなかったので、どんなスパイクがあり、何がどのようにいいかをスポーツショップに通いスパイクを眺める毎日だった」と振り返る。その後いくつかのスパイクを購入することになったのだが、選んだスパイクはミズノではなかった。

「ミズノは当時サッカーでは全く認められていないブランドで、ミズノと言えば誰もが野球、ゴルフというイメージを持っていました。私もミズノのスパイクは当時から一度も使用したことなどありませんでした」

 サッカースパイクではミズノに対してポジティブなイメージを持っていなかったが、在籍していた高校とミズノとのつながりもあって、ミズノへの就職を勧められた。当然最初は戸惑ったが、担任の一言で心を決めた。

「君がミズノにいってスパイクを作ればいい」

 安井はこの言葉で決心し、ミズノの入社試験を受け、見事合格。そして高校では珍しく卒業論文を書くことが義務付けられていため、その卒論のテーマをスパイクにした。他社のスパイクを徹底的に分析し、ミズノのスパイクのあるべき姿を提案した論文だった。

 この卒論を先輩社員に見せたことがきっかけで、入社から3年後の1983年にシューズ企画部に配属された。しかしミズノ社内には、サッカー選任の技術開発担当やデザイナーはいなかった。スパイクを積極的に販売する営業もごくわずか。ショップ開拓や販促活動まで自らが行なわなければならなかった。

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