マラソン五ヶ谷宏司、未来の自分への言葉は「東京五輪へ死ぬ気で取り組め」 (3ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 そのときに今井さんが、「待っているぞ」と言ってくれたことが、僕の競技人生を変える最初のキッカケになりました。専修大のチーム内でも20番目くらいの実力だったけれど、箱根駅伝で今井さんと勝負したい一心で、夏合宿を死に物狂いで乗り越えて、10月にあった箱根駅伝予選会ではチーム3番目、全体でも22位でゴールできた。それが自信にもなって、監督に「5区を走らせてください」と頼み込んで、今井さんと同じ5区を走った。

 結果はまったく歯が立ちませんでした。今井さんが区間1位で、僕は区間13位。大学に入ってポッと出の選手が勝てるほど甘くないので当然の結果ですが、レース前の僕の中では、今井さんを登りで追い抜くイメージしか思い浮かべていなかったので、悔しかったのを覚えています。

 ただ、今井さんに挑みたくて必死で練習して、それを実現できたせいか、その後は燃え尽きた感がありました。入学当初の目標だった箱根駅伝にも出られたし、1度は走りたかった5区の山登りも経験できたので、陸上部を辞めてサークルに入って残りの大学生活を楽しく送ろうかなって迷っていました。

 それでも続けたのは、辞める決断ができなかっただけですね。大学卒業後に競技を続けたい想いもビジョンもなく、なんとなく走っていた感じ。それが変わったのは大学3年のときの箱根駅伝でした。エース区間の2区を任されたのに区間20位と散々な結果に終わって、リベンジしたい気持ちがあふれ出た。

 それで大学生活最後の箱根駅伝では1区で区間3位になった。成績が残せて、練習した成果が出る面白さがわかり始めたこともあって、ようやく実業団(JR東日本)に進んで競技を続ける決意が固まりました。

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