2017.03.21

セリエA移籍、東日本大震災を経て……
37歳、小笠原満男が語る矜持

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro  五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro


 イタリアで「俺が点を決めて勝つ」が当たり前なのは、自己主張しないと誰からも気にも留められない文化だから。そのため、2得点10アシストの選手より、10得点2アシストの選手の方が評価されるし、移籍金が高く違うチームに行ける。だから、ゴール前でボールを持ったらパスはしないし、DFを背負ってもシュートに持ち込むだけの技術を練習の時から磨いている。同じことを日本でしたら「エゴが強い」と言われてしまうけど、これはどっちがいい悪いということではなくて、普段の生活の延長線上にあるのがサッカーだと身をもって知りましたね。

 守備の考え方もまったく違いました。日本の守備はボールを持った相手をまず止める。ワンサイドカットして追い込みながら、味方のサポートを待って奪うというのが多い。でも、イタリアで最優先するのは相手からボールを奪うこと。それで抜かれそうになったらファウルして止めるという考え方。日本のような守備をすると「見ていてもボールは獲れないぞ」ってなる。イタリアに行くまで守備を教えられたことはあまりなかったけれど、イタリアに行ったことで1対1、ペナルティエリアでの守り方、ファウルをするタイミングなど、守備についてのイロハを学ぶことができました。

 もともとオフェンシブの選手だったけれど、そういう経験を積んだことで守備の仕事の奥深さに気づいて鹿島に戻ってきた。ちょうどその時に鹿島を率いていたオズワルド・オリベイラ監督も、相手からボールを奪うアグレッシブな守備を求めていた。自分が発揮したいプレーと、監督が求める役割が一致していたので、守備的なポジションになることはすんなり受け入れられましたね。

 イタリアに行くまではスルーパスやアシストを決めることに快感を覚えていたけれど、Jリーグに帰ってきてからは、相手が「行ける」と思って前がかりになったところで、自分一人の力でボールを奪い返して、ピンチを一転してチャンスに変える。この醍醐味を知ったらスルーパスやアシストでは満足できなくなっていました。

 攻撃的な役割から守備的なポジションへの意識の変化はイタリアで得ましたが、サッカーというもの自体への考え方は、故郷の岩手などを襲った東日本大震災が大きかったです。あれだけ大きな地震と津波があって、震災後に訪れた被災地の光景はいまでも焼きついています。