セリエA移籍、東日本大震災を経て......37歳、小笠原満男が語る矜持 (3ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro  五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro


  チーム最年長となり、「鹿島イズム」を伝えていく立場に チーム最年長となり、「鹿島イズム」を伝えていく立場に 鹿島アントラーズでは最年長になりましたが、これまでのキャリアのなかで本田泰人さん、秋田豊さん、大岩剛さん、柳沢敦さんという先輩方や、同期の中田浩二や本山雅志が、ひとり、また一人とチームから抜けていくたびに背負うものが大きくなり、"自分が活躍したい"という考えから、"チームのために"という意識が強くなった感じですね。

 若い頃はピッチ上でのプレーにだけ専念できたけど、いまは会社の中間管理職のような役割を果たさなければいけないので難しさがある。ただ、この役割を20歳そこそこの選手がやれるわけがないし、自分が若い頃に年配の選手たちがやってくれていたことなので、しっかりと受け継ぎながら、下の世代に背中で見せて伝えていきたいと思っています。
 
 サッカーで勝つために最も重要なことが、チームがひとつになることですが、ひとつになるには時間も手間もかかるのに、いったん綻びが出るとあっという間に崩れてしまう。そのため、日頃からチームメイトに気を配って、アドバイスしたり、話しを聞いたりしています。なかでも一番大事にしているのは、"自分が先頭に立ってやる"。チンタラやっている人から、「しっかりやれ」と言われても響くわけがないんでね。そこだけは自分に課しています。

 選手として年を重ねるなかで気づいて変化してきた部分がある一方で、サッカー人生を振り返ると、やっぱりイタリアでのプレー経験と、東日本大震災というのは、サッカー観を変えるほどの大きなものでしたね。

 2006年8月から翌年の6月までの1シーズン、イタリアのメッシーナに移籍しましたが、ほとんど試合に出場できなくて、決して成功とは言えない日々でした。だけど、海外ではサッカーが単に上手ければ成功するものではなく、郷に入れば郷に従えというけれど、その国の文化、風習、チームカラーを含めたものに溶け込む努力をしなければいけないことがわかったし、日本にいたら見えなかったものに気づけた。新たな発見や体験を数多くできた貴重な時間でした。

 イタリアと日本はサッカーだけではなく、何もかもが真逆の価値観でしたね。日本は序列や規律を重んじて、自分の意見を飲み込むことが美徳とされる文化ですけど、イタリアはみんなが自己を主張する。たとえば、日本だと「なにか意見は?」と聞かれても誰も手を挙げないけれど、イタリアはほぼ全員が手を挙げる。そういった文化の違いを知識としてだけではなく、実際に皮膚感覚で知ることができたのは大きかったですね。

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