櫻坂46松田里奈が語るソフトボール時代「セーフティバントが得意」。「極めていた」ことも (3ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

ーー職人気質を感じさせます。ソフトボールは中学で区切りをつけたということですね。

松田 はい、高校でも続けようとは思わなかったです。正直、3年間ずっとボールが怖かったんです。ゴロも怖いし、フライも全然捕れないぐらいで......。最後の大会でも事件があったんですけど。私がピッチャーとして投げるのが下手すぎたからか、監督から試合直前に「ライトやらないか?」と言われて。急だったので断ったんですけど、結局、マウンドに上がる機会がなくて、いっさい練習をしていなかったライトで出場したんです。そしたら、ライトに打球が飛んできたら距離感がわからず、「あ、あ......」って戸惑いながら後ろにボール逸らしちゃって(笑)。だから向いてないなと思って、ソフトボールは中学と同時に卒業しました。

【部活動で学んだチームワーク】

ーー高校からは部活動に所属していましたか?

松田 ダンス部でした。もともとダンスは好きで憧れもありましたし、中学の頃も少女時代さんやきゃりーぱみゅぱみゅさんなどの動画を見ながら家で踊っていました。高校からはTWICEさんにハマっていました。

 ただ、先生が来るのは週1回だったので、部活としては本格的に動いていたわけではなく、どちらかというと「楽しく踊る」をモットーに活動していた感じでした。好きなアーティストのダンスをコピーして踊ったり、時には自分たちでオリジナルの振りつけを考えたりして、それぞれ楽しんでいました。

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