伊原六花の人生を変えた高校入学の分岐点。ダンスのために選んだ道に「奇跡」があった (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • 佐野隆●撮影 photo by Sano Takashi

 周囲を楽しませるのが好きで、軟式テニスや水泳も習っていた活発な少女は、物語の世界を現実世界で創造する喜びを知るにつれ、ミュージカルに傾倒していく。

 決定的だったのが、劇団四季の元メンバーがワークショップのため、地元のミュージカル教室を訪れた時。

「ちょうどジャズダンスにハマっていた時期に、その方が舞台寄りのジャズを見せてくれたんです。『これ好きだ。わたしがやりたいのはこれだ!』と思って、そこから、その方がいらっしゃる兵庫県のミュージカルクラブに通い始めました」

 放課後に1時間半ほどかけて、ひとりで西宮まで電車で通う日々は3年間近く続く。恵まれた環境で王道ミュージカルに触れた彼女は、バレエや声楽、シアタージャズなどの新たな要素を、スポンジが水を吸うように吸収していった。

 偶然の出会いを好奇心と情熱でつないだ運命の糸は、高校進学という人生の転換期でも、彼女を夢見る世界へと誘った。

 全国大会常連のダンス部を擁する登美丘高校だが、もとは伊原が住む地域の学区外だったという。その学区制度が緩和されたのが、中学2年生の時。突如として、運命の道が選択肢に飛び込んできた。

「もともとわたしは、違う高校への進学を考えていたんです。学区が違ったので登美丘高校のことはまったく知らなかったし、姉のいる高校などを考えていました。ところが進路相談している時に、担任の先生が『ダンスが盛んな高校があるけれど』と紹介してくれたのが登美丘高校だったんです。

 そこで調べてみたら、YouTubeにダンス部の動画が上がっていて、それを見たらヒップホップやロックではなくてミュージカルっぽいダンスだったので、『これだ!』と思ったんです。それから登美丘に入るために、必死に勉強しました」

 誰しも人生において、分岐点となる「if」の瞬間が存在する。

 もし......学区緩和のタイミングが数年遅く、登美丘高校に行くことがなければ、彼女の人生は違うものだっただろうか?

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