乃木坂46賀喜遥香、批判も受け止めて成長したバスケ部時代「私の人格を作ってくれた」 (3ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

ーーそうでしたか。賀喜さんのポジションは?

賀喜
 センターでした。私、背が高いので。でも当時は細くて、筋肉もなかったので、「ただ背が高いだけのセンター」って周りからは思われていたかもしれません。でもそれが悔しくて頑張っていた部分もあります。

ーーリバウンドやポストプレーなど、フィジカルの強さが求められるポジションですね。

賀喜
 そうなんです。センターはほかに1、2人しかいなかったので、私の悩みを理解してくれる人が少なく、結構しんどかったですね。それにドリブルが下手だったので、先生やキャプテンに「ドリブルはしなくていい。センターのプレーだけマスターしてこい」って言われて(笑)。だから、ひたすらYouTubeで練習方法を勉強していました。部活の合間にキャプテンが練習に付き合ってくれていたので、何度もスクリーンプレーを繰り返していました。

ーーでは、他校の試合やBリーグなんかでも、センターのプレーを中心に見ていた感じですか?

賀喜
 すごく見てました。私は栃木県で育ったので、特に地元の宇都宮ブレックスの試合をよくテレビで観戦してましたね。ブレックスって、県民からの人気がものすごいんですよ。当時はTSUTAYAの窓に選手の等身大のシールが貼ってあったり、映画館の椅子の肘掛にもシールが貼られていましたね(笑)。劇場で流れる映画の予告にも選手たちが出てきたりして(笑)。

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