乃木坂46賀喜遥香、批判も受け止めて成長したバスケ部時代「私の人格を作ってくれた」 (2ページ目)

  • 佐藤主祥●取材・文 text by Sato Kazuyoshi
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

ーー試合に出られるようになったのはいつ頃ですか?

賀喜
 中学2年になって、3年の先輩が卒業した後です。それまでは、ベンチ入りできるレギュラー以外の枠が3人までだったのですが、一度も入ることができなくて......。そのなかでもモチベーションを保つことができたのは、先輩からの"ある言葉"があったからでした。

 それは私がまだ中学1年の頃、先輩たちが行なっていたレイアップシュートの練習に混ぜていただいたことがあって。憧れていたある先輩から「レイアップ、上手になったね」って褒めてもらえたんです。それがすごく嬉しくて。それ以降、家に帰ってご飯を食べた後、すぐにランニングしたり、自主練を重ねるようになりました。その甲斐あってか、中学2年からベンチ入りできるようになり、なぜだか副キャプテンにも選ばれて(笑)。

バスケ部の経験が現在のアイドル活動につながっているというバスケ部の経験が現在のアイドル活動につながっているというーーきっと、賀喜さんの練習熱心な姿勢を周りが見ていたからではないでしょうか。副キャプテンになってからは、立場や考え方に変化はありましたか?

賀喜
 めちゃくちゃ変わりました。もう、みんなをまとめるのが難しすぎて(笑)。チームではキャプテンだけがバスケ経験者で、私を含めたほかの部員は全員、中学から始めた初心者。キャプテンが一番上手いから、彼女の言うことは基本的に全部聞いていたんですね。でも一度、キャプテンが腕を骨折して離脱したことがあって。それで私が部員をまとめなきゃいけなくなったときが、中学3年間で一番カオスでした(笑)。

 出場する大会でもほとんど勝ったことがなくて、100点ゲームで負けることもありました。私たちは下手なりに一生懸命プレーしているのですが、キャプテンはブチギレでしたね(笑)。一番成績がよかったのは、一回戦を突破した中学最後の総体ぐらい。それでもキャプテンが「楽しかったよ」と言ってくれたときはすごくうれしかったですね。選手としては、この大会を最後に引退しました。

2 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る