武術太極拳で世界一も16歳で競技引退。山本千尋が葛藤のすえ選んだ道 (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 立松尚積●写真 photo by Tatematsu Naozumi

 週6の頻度で教室に通い、学校から帰ってきては毎日3時間ほど練習した。

「それでも足りなかったので、その後1時間とか2時間は体育館じゃなく、外の河川敷みたいなところでも練習をしました。学校が休みの日は、朝から晩まで練習していることが多かったです。

 自主練をする時は、陰のコーチとして私の両親がつきっきりで教えてくれました。両親は中国武術をしていたわけではないのですが、『見た感じはこっちのほうがいいんじゃないか』とか『こういう筋トレをしたらいいらしいよ』とかアドバイスをしてくれて。

 河川敷で練習していると、警察に通報されたこともあったんですよ。刀を振り回している子がいるぞって(笑)」

 毎日の練習の成果もあり、小6の時にはインドネシアのバリ島で行なわれた世界ジュニア武術選手権に出場。金メダル1つと銀メダル1つを獲得した。

「中国武術という大きなくくりのなかに武術太極拳があって、そのなかでも太極拳・南拳・長拳と分かれるのですが、その時、私は長拳のなかの素手の部門と槍が好きだったので槍術の部門で出させていただいて。長拳で2位、槍術で優勝することができました」

 初めての海外の大会でみごとな成績を収めたが、プレッシャーはなかったのだろうか。

「海外の審判に自分の演武がどういうふうに映るかというのが全くわからなかったし、それにきっと日本の観点とも違う。そういうことを考えると、失うものは何もない。恐れることも何もないと考えたんです。とにかく楽しもうと。

 それに、もしかしたらもう出られないかもしれない。それくらいのあっさりした気持ちで臨んだので全然緊張しなかったのを覚えています」

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