2020.07.01

康介さんを手ぶらで帰すな。後輩たちの感謝の気持ちが生んだ銀メダル

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 泳法も進化していた。かつてのキックを効かせて水の抵抗を受けずに泳ぐものから、アメリカタイプのパワフルな腕の掻きも習得し、北島の泳ぎはプルとキックのバランスが調和した新たな完成領域に達しようとしていた。

 4月末には、アメリカ・アリゾナ州のフラッグスタッフ合宿で、北島とよく一緒になり交流もあったアレクサンドル・ダーレオーエン(ノルウェー/北京五輪100m平泳ぎ2位、11年世界選手権同種目優勝)が、心臓まひで急死するショッキングな出来事があった。これにより、北島は大会前ランキングで100mと200mともに1位でロンドン五輪に臨むことになった。

 北島は、アテネと北京に続く100mと200mの五輪3大会連続2冠を日本中から期待されていた。しかし、彼が新たに完成を目指す泳ぎは、繊細な動きの調和が必要不可欠だった。その微妙なズレに苦しんでいた。

 そんな中、北島のロンドンでの戦いは始まった。まず100m平泳ぎ予選は、59秒63で2位通過とまずまずの出だし。同日夕の準決勝では、前年世界選手権3位のキャメロン・ファンデルバーグ(南アフリカ)が58秒83の五輪新記録を出す。ファンデルバーグは、平井伯昌(のりまさ)コーチの指導を受けに来日したことがあり、北島にとってダーレオーエンとともに親交のある選手だ。一方、北島は59秒69と記録を下げて6位通過。暗雲が漂っていた。

 翌日の100m決勝。北島は、最初の50mを4月の日本選手権よりも0秒09遅い27秒78で5番手通過。後半も日本選手権より0秒80遅い32秒01。結局、59秒79で5位だった。優勝はファンデルバーグで、タイムは58秒46の世界記録。2位のクリスチャン・スプレンガー(オーストラリア)は58秒93で、3位のブレンダン・ハンセン(アメリカ)は59秒49。北島が本来の力を出し切っていれば、メダル圏内には届いていたはずだった。