2020.06.15

寺川綾の成長物語。悔し泣きのアテネからロンドンで納得の涙を流すまで

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 北京五輪イヤーの08年になっても、状況は変わらなかった。4月の日本選手権では、100mが4位で、200mは3位。またしても中村と伊藤の壁を崩すことができず、代表入りを逃した。

「五輪選考に対する考え方が甘かったと思います。04年まではポンポンと代表に入れたから、いつもどおりに泳げば大丈夫という感じで、そんなに重く捉えていなかったんです」

 寺川は、この前年の07年から社会人になっていた。社会人、とはいっても仕事よりも水泳に専念させてもらっている立場。だから、「日本代表になれないのなら競技を辞めたほうがいい」とも考えていた。しかし、テレビで北京五輪を見ていると、代表選手たちを心の90%は応援しながらも、残り10%は応援できない複雑な気持ちでいる自分に気づいた。

「もし、自分のライバル選手を100%応援できていたのなら、自分から身を引いていたかもしれない。でも、そうではなかった。『まだ自分は代表に戻りたいんだ。戻らなきゃいけないんだ』と気づきました」

 寺川はレベルアップのため、北島康介や中村礼子をメダリストに育てたコーチ、平井伯昌(のりまさ)に師事を仰いだ。北島が本拠地をアメリカに移し、中村が引退した当時の状況をチャンスと考えた。