2020.03.31

松田丈志が北京五輪決勝レースの前に
涙が出そうになった真相

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by kyodo news

 松田がまず取り組んだのはスピード強化だった。記録を伸ばすためには後半のスタミナだけではなく、前半の速い突っ込みも必要になるからだ。その成果は06年に200m自由形の日本記録樹立につながった。

 だが200mバタフライでは、06年に1分55秒49まで伸ばしたところから停滞した。前半から飛ばすスタイルに変えたことで力みも出て、持ち味だった後半の伸びを殺してしまったのだ。07年世界選手権では1分54秒99を出した柴田隆一に記録でも抜かれ、08年4月の日本選手権で五輪代表は決めたものの、結果は2位。このままだと2番手の位置に甘んじることになりそうだった。

 そこで決断したのは、当時所属していたメーカーの水着から、多くの選手が好記録を連発していた競合他社の水着に変えることだった。

「すごく葛藤があったし、最後の最後まで迷いました。でも、五輪の年なので勝負をしたいと思った。日本代表として戦う以上はベストの選択をするしかないと思い、コーチとも相談したうえで、最終的には自分で決めました」

 その水着を着用して臨んだ6月のジャパンオープンで1分54秒42を出し、アテネ五輪で山本が出した日本記録を更新した。このタイムは、同年の世界ランキング4位につける記録であり、松田は、メダル争いができるところまで実力を上げて北京五輪を迎えた。