挑戦者としての再スタート。
坂井聖人が描く「東京で金」の復活プラン

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • 千葉格●写真 photo by Chiba Itaru

坂井聖人インタビュー(後編)

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 2018年4月6日、前年の世界水泳6位という屈辱を晴らすべく、坂井聖人(まさと)は日本選手権200mバタフライ決勝のスタート台に立った。

「優勝しか考えていなかった」

 強気で挑んだレースは、思いどおりにはいなかった。持前のラスト50mの追い上げもかなわず、まさかの6位。その結果、パンパシフィック選手権の出場権はおろか、日本代表の座からも転げ落ちてしまったのである。

「苦しんだのはすごくいい経験」と話す坂井聖人「苦しんだのはすごくいい経験」と話す坂井聖人「実は、レース前から不安が大きかったんです。大会前、幌村(尚/早稲田大2年)と一緒に練習をしたんですけど、普通に負けることが増えて......。『あいつには勝てないなぁ』と思うようになり、自信を失っていました。そういう不安を抱えたまま出たので、それがレースに影響してしまいました」

 水泳は、技術や体力同様に気持ちも重要だ。強い気持ちと自信を持って泳げば、腕や足が疲れても最後に粘れる。それがタッチの差となり、メダルの差になるのだ。

 このとき、坂井は100mまではまずまずのレースを見せていた。実際、「気持ちよく泳げていた」という。だが、100mから150mのところで幌村が前に出た。練習で負けていた幌村に前に出られた衝撃は、坂井の心理を大きく揺さぶった。

「そこで心が折れました。前に出られてしまい、もう勝つのは難しいと初めてラストをあきらめてしまったんです。そうしたらラスト50mでめちゃくちゃバテました。普通は30秒ぐらいなんですけど、この時は32秒5もかかった。タイムはトップのも幌村から3秒差をつけられて、自己ベストからも4秒近く遅れ、もう最悪でした」

 日本代表からの落選――初めて突きつけられた現実に、坂井は気持ちを整理することができなかった。落ち込んで2、3日、自宅に閉じこもっていた。心配したコーチからは「しばらく休め」と言われた。練習をやる気は起きなかったが、自宅にいても気持ちがふさぎ込むだけだし、このまま泳がないとどんどんダメになると思い、数日後プールに向かった。

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