不遇な時代を乗り越えて。金藤理絵「金メダル」の準備はできていた (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 しかし、100mをターンしたあたりから泳ぎに力強さが出てきて、最後のターンのあとはジワジワと差を広げ始める態勢になり、勝利を確信させた。

 結局レースは、金藤が2位のエフィモワを1秒67突き放す圧勝だった。

「いつもは自分で練習メニューも作っていたけど、決勝の前のウォーミングアップは加藤コーチが出してくれたので、それを信じてやろうと思って取り組みました。去年の私なら多分、そうなったら絶対に不満を持ちながらやっていたと思うので、そこがこの1年間で成長したところだと思います」

 こう言って笑う金藤だが、これまでは期待されながらも結果を出せずに過ごしてきている。

 2008年北京五輪に初出場して7位になり、高速水着時代だった09年には日本記録を3度更新していた。しかし、10年に椎間板ヘルニアになってからは低迷し、12年ロンドン五輪では、年下の鈴木聡美や渡部香生子に代表の座を奪われた。そして13年世界選手権でメダルを逃す4位になったときは、レース終了後のミックスゾーンで、引退まで口にしていた。

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