メダル候補の15歳。飛び込みの板橋美波がリオ五輪へ前進中 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

 チームの先輩である寺内健は「あいつは化け物ですよ。ものすごく刺激になるけど、同じことをして負けたらどうしようかと思うから、自分の戦い方と戦略を考えています」と苦笑しながら、高く評価する。

 両親が柔道をやっていた影響から、幼いころは柔道をやりたいと言っていた板橋が、飛び込みを始めたのは小学3年生からだった。同じ時期、柔道の練習にも行ってみたが、遊び感覚で始めていた飛び込みの方が楽しかったという。

「始めた頃はジャンプも低かったし回るだけで、特別に水切れもすごいわけではなくて強化の対象外でした。でも寺内選手が『この子はすごい』と言ってくれて、小6の4月からJSS宝塚で(馬淵)崇英コーチの指導を受けるようになったんです。今の私があるのは寺内選手のおかげなんです。でもその時は何がなんだかわからないうちに2週間の合宿にも行ったけど、練習はきついしできないことだらけで、毎日泣いて泣いて、泣いて......。あの時が人生で一番泣いたと思います」

 負けず嫌いの性格は幼い頃からだった。小学生のときに鉄棒ができず、「友達ができるのに自分ができないのは嫌だ」と放課後に毎日ひとりで練習をしていたという。飛び込みを初めてから、陸上トレーニングでの宙返りができず、「みんなはできるのに」と、泣きながら、コーチの補助を受けて小学4年生のときにやっとできるようになった。

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