【水泳】秘話。北島康介がいるからこそ進化した「男子平泳ぎ」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Yusuke Nakanishi/AFLO SPORT

 予想を上回る男子平泳ぎの進化。平井はそれを促進したのは、「北島の泳ぎ」だったという。誰もが北島の泳ぎを真似して、それをやろうとしていると。

「それぐらい水中できれいなストリームラインを取り、抵抗を少なくする康介の泳ぎはオーソドックスなものなんです。キャメロンも僕が1年くらい教えていたときは、まだやんちゃ坊主で、最初の50mをドーンといって終わる選手だったが、ここ2年はよく考えるようになっていた。彼は元々身体能力がものすごく高くて運動神経も発達していたから、康介の泳ぎにパワーが加わった泳ぎになったんです」と言う。

 02年のアジア大会で北島は、大きく伸びる泳ぎから、200mで2分09秒97の世界記録を作った。それまでの記録は92年バルセロナ五輪のマイク・バローマン(アメリカ)の2分10秒16。10年ぶりに時代を切り開いたのだ。そして03年には100mでも、ロマン・スロードノフ(ロシア)だけの世界だった59秒台に入り、0秒16上回る59秒78の世界記録を樹立した。 

 そのあとは強力な腕の掻きを武器にする、ブレンダン・ハンセン(アメリカ)に2種目とも世界記録を塗り替えられたが、08年には6月のジャパンオープン200mで初の2分8秒を突破する2分07秒51をマーク。北京五輪の100mでは、その泳ぎの完成形ともいえるレースで初の59秒突破を果たす、58秒91の世界記録を出して優勝したのだ。

 09年は高速水着で記録ラッシュとなったが、水着ルール変更で高速水着が禁止されたことも、世界のトップ選手が北島の泳ぎに注目する要因になった。それを先んじてやっていたのがダーレオーエンであり、ファンデルバーグであった。さらにジュルタも大きな泳ぎでのスピードアップを図った。またロンドン五輪の200mでジュルタに次いで、2分07秒43で2位になったマイケル・ジェミーソン(イギリス)も、ラスト50mでさえ慌てることなく、豪快に大きく伸びる泳ぎで32秒62という高速水着時代を上回るラップで泳いでいた。

 そんな状況はジュルタがレース後、北島にかけた「お前がいたから平泳ぎが変わった」という言葉にも表れている。

 もちろん北島も、世界のライバルたちのそんな変化を肌で感じていた。だからこそ新しい泳ぎを追求した。4月の日本選手権で「部分部分ではなく、腕の掻きと足の蹴りのつなぎや、水中のボディーポジションまで総合的に考えている。パワーでは外国勢に勝てないから、いかに低抵抗の泳ぎをするかだ」と話したのは、まさにそんな思いがあったからだ。

 ロンドンではその泳ぎを完成させられずに敗れた北島だが、自分の進化の可能性を信じられる限り、まだ追求の手は緩めないはずだ。

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