「箱根駅伝1区は3番手ぐらいの選手が走る区間になってきた」。前区間記録保持者・佐藤悠基が語る、1区の重みの変化

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロスポーツ

2007年の箱根駅伝。佐藤悠基(東海大・現SGホールディングス)は1区で区間新記録を樹立した2007年の箱根駅伝。佐藤悠基(東海大・現SGホールディングス)は1区で区間新記録を樹立したこの記事に関連する写真を見る

 前回の箱根駅伝の1区における吉居大和(中央大3年)の快走は、今後の駅伝の戦い方に一石を投じるものだった。1区は、集団で駆け引きしながら六郷橋での勝負が定石だったが、スタートから一気に飛び出し、2位の駒澤大に39秒の差をつけて2区に襷をつないだ。吉居の走りで流れを掴んだ中央大は総合6位で10年ぶりにシード権を獲得した。

 高速化した流れは、今シーズンの駅伝からも見てとれる。

 出雲駅伝では、同じく吉居がスタートから激走して流れをつくり、チームを3位へと導いた。全日本大学駅伝では吉居のスピードを警戒しつつ、スローでも対応できる力のある選手を各大学は1区に配置してきた。

「高速化した今の駅伝では、1区の出来がその後の流れを決めてしまう。それほど重要で、難しい区間になってきました」

 吉居に破られるまで15年間、1区の区間記録を保持していた佐藤悠基(東海大―SGホールディングス)は、そう語る。

 佐藤が、1区の区間記録を達成したのは、2007年の83回大会だった。

「この時は、特に監督から戦略的なことは聞かされていなくて、2区にエースの伊達(秀晃・元中国電力)さんがいたので、少しでもリードを保ってつなぐのが仕事だと思っていました。コースは、特にキツイところもなく、品川の八ツ山橋は序盤なので流れのなかでさらっと通過する感じでしたし、最後の六郷橋でいつも勝負が動いていたので、もし集団で入ってきたらそこが勝負を仕掛けるところかなというのはうっすらと考えていました」

 六郷橋が勝負のポイントになると思いながらも、佐藤はスタートから飛ばした。その姿は、前回大会でスタートから飛び出した吉居の姿とも重なる。長く破られなかった区間記録は、前回大会で吉居に破られた時と同じように最初から独走するスタイルで生まれたことになる。

「自分から行くという気持ちはなかったんです。でも、スタートから大西智也選手(東洋大・現旭化成コーチ)がついてきて、八ツ山橋でふっとうしろを見たら集団と5、6mの差がついていた。4キロ地点で振り返った時は、うしろの集団と1分ぐらいの差があったので、それからはうしろを意識せずに、このいいリズムのまま行こうと思っていました」

 佐藤は、1区で単独走になり、後続に3分以上の差をつけていた。勝負ポイントと見ていた六郷橋の上りで足が痙攣した。キロ3分ペースを落として様子を見たが、上りきったところで再度、足がつりそうになったので下りで力加減を調整し、ことなきを得た。

「自分も足がつってしまいましたが、六郷橋は、上りできつい選手はけっこういっぱいいっぱいになってしまいます。ここは下りで変化をつけるんですが、下りの勢いを利用できずにスピードに乗れない選手もいます。そこで余裕があるかないかで、順位が大きく変わってくると思います」

 佐藤は、2位の大西に大差をつけて2区に襷を渡した。

「襷を渡した時は、1区の仕事としては上出来だったかなと思い、ホッとしました。あとは他区間の選手に任せて、ゆっくり見ていられるなって思いましたね(笑)。区間新は、まったく狙っていなくて、途中から狙いにいくこともなかったです。自分のペースで余裕を持って淡々と走っていましたし、六郷橋で足がつったので、頭はそっちに切り替わっていました。でも、ラストは沿道の声からいろんな情報を教えてもらって頑張れた。そうして区間新が出せたんだと思っています」

 佐藤の区間記録は、61分06秒で、2位の大西に4分01秒差をつけての大逃げだった。それから前回の箱根駅伝まで15年間、佐藤の区間記録は破られることはなかった。

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