初マラソンで厳しい洗礼も前年120位から3位に。「外さない男」細谷恭平が転機を語る (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

前年120位から3位へ。思い出のびわ湖毎日マラソン

 2年目の終わり、2020年3月、細谷はびわ湖毎日マラソンで、マラソンデビューを果たすことになった。だが、黒崎播磨はマラソンに特化して練習をしているわけではない。トラック、駅伝をやったうえでマラソンもというスタイルだ。レースの3カ月前に練習メニューがマラソン用の別メニューになったが、いかんせん初なので「何が正解かわからない状態で、とりあえず走ってみよう」というなかでの挑戦になった。

 そして、細谷は初フルマラソンで、厳しい洗礼を受けることになる。

「寒さが嫌いなんですけど、スタートのやり直しで15分ぐらい待たされたんです。マラソンの前ってあまりアップせず、走りながら体を温めていく感じなので、待っている間、体が冷えきって寒くて、寒くて震えていたんです。スタートしても体が全然動かなくて、とりあえず足を前に進めなきゃって思ったんですけど、そのままズルズルいって‥‥『途中でやめると思った』とコーチには言われましたし、市民ランナーにどんどん抜かれて、すごく悔しかったです」

 フィニッシュ後も低体温症のようになり、渋谷監督にシューズを脱がせてもらった。完走できたこと自体ラッキーで、タイムは2時間28分47秒(120位)だった。

 その1年後、細谷は再度、びわ湖毎日マラソンに出走した。

「前回の失敗があったので、キロ2分58秒のペースではなく、きっちり3分ペースで、30キロまで行き、そこから仕掛けていこうというプランでした。1回走っているので、コースの特徴はつかめていましたし、この場所は前回つらかったけど、今回はラクに走れているとか、プラスにとらえられたので、特に問題もなく30キロまでいけました」

 30キロ以降、細谷はペースを上げたつもりだったが、実際は3分を維持するペースだった。その時から他の選手が落ち始めた。鈴木健吾(富士通)だけがさらにペースを上げていき、視界から消えたが、2位の土方英和(Honda)の背中は見えていたので「とらえたい」と思った。

 細谷は、そのままペースを落とすことなく、40キロ地点で井上大仁(三菱重工)らを抜き去り、3位でフィニッシュ。1年前の悪夢のようなマラソンを吹き飛ばす2時間6分35秒の自己ベストを叩き出した。

「このレースは、すごく転機になりました。自信と手応えを感じ、視野が広がりました。同時に、キロ2分58秒のペースでトライしたらどうなるのか知りたくなりましたね。自分は3分ペースで集団のなかで走っていたんですが、僕の前の集団はけっこう仕掛けあっていたんです。それって、ただ集団のなかで走るのとは全然、厳しさが違うんで、そういうレースでも勝てればと思いました」

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