福島千里が明かすメディアの声に涙したわけ。「自分の成長と周りの期待が一致していなかった」 (3ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

「16年までは陸上のためにすべてを懸けていたし、ハイテクを辞めてから『いろんなことに挑戦していきたい』と話していたけど、すべてのことが陸上につながっていたので、その考え方を変えようと思いました。アキレス腱が痛くて走れなくなってからは、『どうやったら走れるのかな』とか、『どうしてここを痛めたのかな。どうしてケガをするのかな』という、若い時には思いつかなかった発想も少なからずあったから、それを知ったうえでトレーニングができればいいかなとも思って。最後に山崎先生がそこを補ってくれていい時間を過ごせたと思うので、そういう勉強をしてみようかと思いました」

 今年から陸上部のアシスタントコーチも務めるようになった福島。今の女子短距離を見て、「10秒台を出すには筋力やパワーが必要だというのはあるけど、11秒3を出すには選択肢はいろいろあり、自分の身体をうまく使った人が行き着けるのではないかと思う。でもそこから2台となると難しいですね。私の場合は、2台に入った09~10年というよりも14~15年のアプローチが一番正解だと思っています。それ(11秒2台)を特別だと思っているから達成できないのかもしれないけど、何か違ったアプローチというか、『こうでないといけない』という技術や体力が存在する可能性は、仮説としては私のなかにはありました。ただ、それを体現するのは得意かもしれないけど、言葉にして説明する自信はちょっとないですね。言葉で説明すると、自分のイメージとは違う受け取り方をされることも絶対にあるから、それで余計に言葉にしなかったというのはあります」

 そう話す福島は、大学院の入学式の挨拶で聞いた、「研究するということは、発表まですることで完結するし、そこに意味がある」という言葉が印象に残っているという。「誰かにアウトプットするまでが勉強ということをすごく感じた」と。

 自分が経験してきたことや、発見してきたことを言葉にして伝えること。それが女子スプリンターの歴史を切り開いてきた福島が、これから目指していくところになった。

後編:「『心も体もズタズタ』現役終盤に指導したコーチが明かす、故障後の姿」はこちら>>

Profile
福島千里(ふくしま・ちさと)
1988年6月27日生まれ。北海道出身。女子100m(11秒21)、200m(22秒88)、4×100mリレー(43秒39)の日本記録保持者。オリンピックに3度出場(2008年北京大会、12年ロンドン大会、16年リオ大会)。日本選手権の100mで10年から16年で7連覇を成し遂げ、11年の世界陸上では日本女子史上初となる準決勝進出を果たした。22年1月に現役生活を引退。現在は順天堂大学大学院でコーチングを学んでいる。
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